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2024年7月18日 (木)

昭和花あらしー21、突然に里心がついて帰国。2024年7月18日


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「昭和花あらしー21」突然に里心がついて帰国することにしました。
帰りは朝鮮半島経由の鉄道を使いました。当時は鴨緑江上で税関検査がありました。
私は上海で買った装身具を少し持っていました。

「大丈夫でしょうか」前席の男性に見せますと「大丈夫です」と言われました。

すぐに税関の検査員がやってきました。
前の席の男性が身分証を見せると、直立不動で敬礼して何も調べずに行ってしまいました。聞くと、その人は満洲国の高官でした。
「満州は事実上日本ですけど、税関は国際的に独立国であること示すための偽善です」
その人は自嘲気味に話していました。

私は朝鮮の京城に一泊して、名物の鶴の味噌漬けを母とおはなさんへの土産に買いました。

「長いお風呂だったね」
帰国すると母は嫌味を言いました。
いっちゃんは結婚していて、夫婦なかよくおはなさんの面倒を見ていました。
おはなさんの幸せそうな顔を見ると、心から和みました。

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母が乗ったのは豪華国際列車の一等席だった。普通の若者が乗る席ではなかった。だから、前席の男性は若くてもそれなりの地位があると税関職員は察していたはずだ。

当時の中国は中国歴代政権によって暗愚な状態に置かれていた。
日本には自虐史観が根強くあるが、当時の日本政府には西欧列強の植民地支配と一線を画す意思があった。だから、一方的に搾取を狙ったわけではない。まず投資して豊かな近代国家に変え、利益を共有することを計画していた。

その第一が全国民への教育だ。
そして、当時世界最先端のインフラを整備して、官吏の不正を根絶した。
その結果、満洲国円札は中国人からも信頼され、国民党政権が強制的に交換するまで、日本敗戦後数年間は満州円が通用していた。

母は男らしくない領事館職員たちの行動に嫌悪感を感じた。実際は母はもっと悪質な横暴を沢山耳にしていた。
満洲国政府は理想国家を目指して、優秀な人材を右左関係なく採用した。
列車で同席した官僚も、そのような優秀な若者だったようだ。しかし、玉石混合でダメな奴も多くいた。

もう一つ歴史の表舞台から消えたことがある。
上海租界の警察官がインド人が多かったのと同じ図式で、満州の現場監督や下級官吏に半島出身者が多かった。だから敗戦時、中国人の憎悪は日本人より直接接していた半島人へ向けられた。

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