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2024年9月 7日 (土)

「昭和花あらし」47〜56ページ掲載。2024年9月7日

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 大病から回復したばかりでしたので、週に三日は近くの二日市温泉で湯治しました。
その効果で初冬の頃には元気になりました。

その日も、いつものように列車に乗りました。
しかし何となく、二日市で下車せず終点の門司まで行ってしまいました。
門司からは満州大連行きの連絡船が出ています。私は惹かれるように乗船しました。
所持金は大連までの船賃と数日分の宿代しかありません。
でも、大連には興行で成功している知り合いがいました。
「もし、おいでになることがあったら、ぜひ声をかけてください」
以前から、何度も言われていましたので不安はありませんでした。
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夜の玄界灘に持っていた洗面道具を投げ捨てると気持ちがすっきりしました。
当時の満州には、私のような無謀な若者を受け入れる大らかさがありました。
 翌日着いた大連港は氷結していて、接岸に二時間ほどかかりました。
宿は二重窓で暖房がよく効いていました。すぐに知り合いに電話を入れると仕事を世話をしてくれました。
彼が関わっているクラブに出勤するだけで高給を支払ってくれました。
落ち着いてからお花さんに手紙を書きました。彼女は私の様子をうまく母に説明してくれました。
返ってきた手紙には「イチは甲種合格したけど、一人息子で熟練工なので兵役は免除された」と書いてありました。
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 戦争の気配ありましてが、大連はのどかで平和でした。
ロシアに引き続き日本が開発したとても綺麗な近代都市でした。
アカシアの香りが漂う頃、旅費がたまりましたので連絡船で上海へ
遊びに行きました。

上海に着くと横浜で知り合った財閥の息子のホテルに宿泊しました。
私は日常会話なら中国語ができました。彼の名前を出すと支配人は
最上の部屋を用意してくれました。
でも困ったことに、支配人は私が彼の大切な人だと誤解していました。
ただの友達だと言えば、彼の面子を潰します。
それで残念でしたが上海には長居しないことにしました。
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ホテルで爪切りを頼むと上海一の達人を部屋によこしてくれました。
爪切りは鋭利な刃物で一気に丸く切ってくれました。耳の穴の産毛も細い剃刀で綺麗に剃ってくれました。
それは本当に気持ちよいものでした。
 支配人の連絡でホテル持ち主の彼がやって来ました。
彼は上海をくまなく案内してくれました。
上海は活気があり、魔都と言われるくらい魅力的な街でした。
でも、上海事変の影響で対日感情は最悪でした。
私は日本人だと思われていませんでしたので、嫌なことは全くなく楽しく過ごせました。
用意した旅費が殆ど余ったので、装身具を買ったり、チャイナ服を作ったりしました。
長く滞在したかったですが、一週間で平和な大連へ戻りました。
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 日本統治が長い大連には日本のサービスはすべて揃っていました。
日本領事館の若い事務官たちとも仲良くなりました。
みんな礼儀正しい人たちばかりで心地よい毎日を過ごせました。
少し働いて、お金が貯まると満州各地へ遊びに出かけました。
ハルピンでは普通のロシア人家族が空き地で合唱をしていました。
それは本当に見事な合唱で心底感動しました。でもそれ以外は上海と比べると文化が浅く物足りなさを感じました。
日本のヤクザは上海にも満州にも侵出していました。
みんな政府職員の肩書きを持っていて外見は普通の人でした。
「いつぞやは内地でお世話になりました」
街角で突然に挨拶されることが何度かありました。
それは母の奇妙な人脈のせいでした。


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Hana

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