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2024年9月12日 (木)

夏の終わりの心打つ不思議な話。2024年9月12日

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夏の終わりの奇談。50年以上昔、私は東京場末の古い宿場町に引っ越した。街には昔風の商家が残り、中央に深い掘り割りがあった。毎日の散歩の途中、その老人と掘り割り沿いで出会った。彼は剃り上げた頭で、いつも木陰の縁台で刻みタバコを煙管でふかしていた。毎日、顔を合わすうちに、私は老人と黙礼を交わすようになった。

ある暑い夏の午後、汗を浮かべて歩いていると「にいさん、休んでいきな」と老人に声をかけられた。
縁台に腰掛けると老人は薬缶から冷えた麦茶を湯飲みに注いでくれた。川風が心地よく、麦茶が乾いた喉に染み入った。それ以来、老人と言葉を交わすようになった。

その日は夕暮れに散歩に出かけた。いつもの道を歩いていると、後ろから老人に呼び止められた。これから近くの居酒屋へ飲みに行くから付き合えと言う。仕事を終えて一杯やりたい気分だったので、私は付き合うことにした。

居酒屋は掘り割り沿いを少し歩いた先の木立にあった。よく知っている道なのに、今まで気がつかなかったのが不思議だった。
「いつも店が開くのは夕方からだから、気がつかなかったのだろう」
老人は軽く聞き流した。
縄のれんを潜ると、板壁に戦前の酒のポスターが貼ってあった。「おーい、誰もいないのか」老人は奥に声をかけた。
やがて現れた浴衣の女性は二十代後半の色白の人だった。カウンターにつくとすぐに冷や酒と焼き茄子が出された。しばらく飲んでいても来客の気配はなく、商売にならないのではと心配になった。

酒を重ねていると老人はポツリポツリと昔話をした。
老人は戦前、江東の隅田川沿いで船大工をしていたようだ。カウンター内の女性は終始笑顔で頷くだけで何も喋らなかった。

暫くすると「とおちゃん」と四、五才の男の子が奥から出てきた。老人は嬉しそうに抱き上げた。
「こいつは俺のガキなんだ」老人は言った。
「まさか、こちらが嫁さんと言うんじゃないでしょうね」
冗談めかして聞くと、老人は真顔で「いや、女房だ」と答えた。

その日から居酒屋のことが気になったが、老人は二度と誘ってくれなかった。若い人妻が切り盛りしている店へ一人で行くのは気が引けるので、私は訪ねようとは思わなかった。

夏の終わり、涼しい小雨模様の日だった。いつものように歩いていると、縁台脇に傘をさした老人が立っていた。老人はいつものすててこ姿ではなく、白い麻の上下にパナマ帽とお洒落をしていた。
「今日はお洒落ですね。お出かけですか」
「ガキと女房と、お出かけだ」
老人は楽しそうに笑った。立ち話をしていると、遠くで着物姿の彼女と子どもが手を振っていた。老人と別れてから振り返ると、親子三人が仲睦まじく歩いて行く後ろ姿が見えた。

老人と会ったのはそれが最後で、その日を最後にプッツリと出会わなくなった。気になって居酒屋で老人の様子を聞いてみようと思ったが、あの居酒屋はいくら探しても見つからなかった。それから間もなく、散歩コースを変えたので、老人たちのことは忘れてしまった。

一年後、思い立って、老人から聞いていた彼の住居を辿ってみた。しかし、住居があったはずのその場所は取り壊され駐車場になっていた。
近所で老人の消息を聞いてみた。
すると、去年の夏の終わりに老人は突然に亡くなっていた。
驚いて奥さんや子どもの消息を聞いた。しかし、怪訝な顔をされた。
「あの人は出征している留守に、東京大空襲で嫁さんと子どもを亡くしています。それ以来独り身だから、そのような家族はいないはずです」
私は狐に摘まれた気持ちになった。
住人に更に居酒屋のことを聞いてみたが、そのような店は聞いたことがないと強く否定された。

今、私はその老人の歳をはるかに超えてしまった。
その頃はまだ、戦争の記憶がそこら中に色濃く残っていた時代だった。

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