「昭和花あらし」22〜28投稿。2024年9月4日
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お花さんは働くのが大好きでした。
おばあさんも働き者で、足袋作りの内職など休みなく働いていました。
久留米は織物の街です。女の仕事は沢山
ありました。
お花さんはおばあさんと三人、仲睦まじく暮らすことができました。
翌大正十年、イッちゃんも小学生に
なりました。
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小学校の登校路に昔の刑場へ架かっていた橋の礎石が残っていました。
30Cmほどの黒い石です。子供たちはその石を踏むと祟ると、遠く避けて通っていました。
でも私は「幽霊橋ふんだ」と言いながら、いつも踏みつけて行きました。
「悪いことが起きるよ」
みんなは遠巻きに怖そうに眺めていました。
私は怖がっているイッちゃんにも、無理やりその石を踏ませました。
イッちゃんはベソをかきながら踏んづけていました。
「イッちゃんに本当に悪いことが起きたらどうしよう」
ふいに私は思いました。私はそれからも石を踏んづけ続けましたが、イッちゃんに強要するのは止めました。
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私はクラスで一番体が大きくて喧嘩が強かったので、男の子たちを子分にしていました。
夏は毎日、筑後川で遊びました。
水着はなかったので私は腰巻きで泳ぎました。
男の子たちはスッポンポンで泳いでいました。
男の子たちに命じて、お墓におしっこをかけさせたこともありました。
イッちゃんは相変わらずベソかきでした。
でも、私が仕返しをしますので、誰もいじめませんでした。
大正十二年に関東大震災が起きました。
その頃、小学校に父が人力車で迎えにきて、危篤状態の実父に会いに連れて行きました。
実は私は養女でした。
母は変わり者ですので、周囲にも私にも、養女であることを隠しませんでした。
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実父は危篤状態なのに布団の上に正座して私を待っていました。
会うと「大きくなったね」と大喜びしました。
その傍では後添えが泣き崩れていました。
実父は翌日に亡くなりました。
それは第一銀行に職を得てすぐの不幸でした。
実父は元久留米藩士の嫡男で、久留米から近衛師団に推挙されました。
除隊後、帰郷した実父は染物屋の娘と恋に落ち私が生まれました。
私の本当の祖母はそれを許すことができず、実父は廃嫡させられてしまいました。
実母は私を生んですぐに亡くなりました。
困りはてた実父は、子供がいなかった母へ赤ん坊だった私を養女に出しました。
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小学校の同級生にブリヂストン創業の石橋家の娘がいました。
親しくはありませんが、珍しい洋菓子などに釣られて、誘われたら喜んで遊びに行っていました。
其の時、庭で第一次大戦でのドイツ人捕虜を見たことがあります。
その人は技術者として石橋家に雇われ、厚遇されていました。
石橋家はそのような技術者たちの助けで地下足袋を発案しました。
地下足袋は三井炭鉱に採用され、石橋家は大躍進しました。
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