「昭和花あらし」6〜12ページ掲載。2024年9月2日
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久留米近郊は酒造所が沢山ありました。
猪太郎さんは腕の良い杜氏でした。
第一次世界大戦特需の好景気で、面目に働いていたら、お花さんは幸せに暮らせたはずです。
しかし、誘われて初めてやった博打で猪太郎さんは大勝ちして、生活が狂ってしまいました。
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猪太郎さんは博打にのめり込んで行きました。
お決まりのようにお金に窮し、母から借金を重ねていました。
そのことを母は気にしていませんでしたが、お花さんは辛かったと思います。
それをきっかけに私たちと疎遠になって行きました。
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大正六年。猪太郎さんは仕事もお金も行き詰まってしまいました。
母はお花さんたちのことを心配していましたが、放って置く他ありません。
博打さえやめれば、すべてうまく行くはずです。
しかし、それが難しいことは誰もが分かっていました。
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その年の秋、冷たい雨の中をお花さんと猪太郎さんが歩いているのに出会いました。
「イッちゃんは」母がお花さんに聞きました。
「猪太郎さんのお母さんに預けています」
お花さんは辛そうに答えていました。
それから母はお花さんと少し話をして、別れました。
一週間ほど過ぎた初冬の頃、五歳の私は母の代理で、父がひいきにしている遊郭へお歳暮を届けに行きました。
当時の正妻は夫の愛妾たちへ届け物をする風習がありました。
気が強い母はそれが絶対に嫌で私を代理にして行かせました。
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お歳暮の反物を持って人力車で遊郭に着くと、
父のお相手の女の人が待っていました。
女の人は嬉しそうに自分の部屋へ案内して、お菓子出してくれました。
その時、廊下の奥をお花さんが料理を運んでいる姿を見かけました。
女の人に聞くと「しばらく、お花さんには雑用をしてもらうらしい。
器量良しで、すぐに売れっ子になるのに残念ね」と話していました。
その本当の意味は幼い私にはわかりませんでした。
お菓子を食べた後、女の人は遊郭のお風呂に入れてくれました。
それは竜宮城みたいに豪華なお風呂でした。
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