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2024年9月 1日 (日)

「昭和花あらし」が完成しました。今日から毎日少しづつブログに掲載します。今日は1〜5ページ掲載。2024年9月1日

「昭和花あらし」は97歳で死んだ母の、大正から昭和へかけて出会った無名の女たちの戦争に翻弄された波乱万丈の思い出の実録である。私は母を8年間、雨の日も風の日も3キロ離れた自然公園まで車椅子で連れて行った。ある日母は、大正7年・筑後川河畔での花見の宴でお花さんが踊り続けていたシーンから思い出を語り始めた。それはあまりにも数奇な運命で、その実録を歴史から抹消させないために53枚の絵と文を組み合わせた画文「昭和花あらし」として記録した。文中では、母の思い出に登場した複数の女性たちを一人のお花さんに統合した。

1 昭和花あらし 篠崎正喜

 桜が咲くと、九十年前の筑後川堰堤での花見の宴を思い出します。
大正七年、私は五歳でした。
大好きだったお花さんは宴の中で艶やかに踊り続けていました。
私の傍では、お花さんの一人息子のイッちゃんが泣きじゃくっていました。

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話しかけても、ただ泣き続けています。
何が悲しいのか聞いても、ただ泣いています。
私は困り果ててしまいました。
お花さんはイッちゃんのことは気にせず、踊り続けていました。

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私は近づいて、お花さんの袖を強く引きました。
「イッちゃんが泣いてるよ」
でも、お花さんは踊るのをやめません。
「よかよか、泣かせといて」
と踊り続けました。

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イッちゃんを無視して踊り続けているお花さんが不思議でなりませんでした。
でも、踊る姿はとても美しく見えました。
踊り続けたお花さんの気持ちが理解できたのは、私が大人になってからでした。

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 イッちゃんは私より一つ年下です。
四年前の大正三年に生まれました。
父親の名前は猪太郎。
むさ苦しい名前ですがスッキリした役者みたいな若者でした。
だから女たち
は猪太郎さんを放って置きませんでした。
お花さんは苦労が絶えなかったと思います。

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Hana




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