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2024年10月15日 (火)

祖父を廃嫡した曽祖母は冷たい差別主義者と思っていたが、そうではなかったようだ。2024年10月15日

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大谷口配水塔。
街のどこからでも見えて住人にシンボルとして愛されていた。
しかし、かなり以前に老朽化により撤去されてしまった。
近くに知人がいたので、配水塔を目印によく訪ねていた。
同じ歳の彼は資産家で、絵描きになりたての私を支援してくれた。
しかし、残念なことに厄年に急死してしまった。
彼には美しい出戻りのお嬢さんがいた。
幾度か食事をしたが、その内に再婚してしまった。
こちらも残念でならない。

この配水塔が見える辺りで、母の従兄弟が内科医院をやっていた。彼の父親は私の実の祖父の弟にあたる。
私の実の祖父は高身長で2枚目で家柄もよかったので久留米から近衛師団に選抜された。除隊後、帰郷すると若い女たちが放っておかなかった。しかし、直向きな性格の祖父は染め物屋の娘と激しい恋に陥り結婚した。
そして生まれたのが母である。母は幼くして母親を亡くし、ヤクザな家の養女になった。

実の曽祖母は厳格な人で、親の許しもなく勝手に結婚した祖父に怒り、祖父を廃嫡してしまった。私は曽祖母は差別意識の強い人だと思った.しかし今は考えを変えた。

明治に入って武家の大部分は凋落したのに、曽祖父の家は安泰だった。曽祖父は華道や茶道に熱中した風流人で生活能力は皆無だった。それでも明治に入ってから安泰だっのはその影で曽祖母が死に物狂いで家の維持を図ったからだ。だから、曽祖母は夫に似て風流を好む祖父に危機感を抱いていたはずだ。

それに対して祖父の弟はバカがつくほど生真面目だった。
彼は漢方を学び、患者が遠方から泊まりがけでやってくるほどの名声を得ていた。その現実を見て、曽祖母は祖父を廃嫡し弟に家を継がせようと図ったのが真相だと思っている。

彼女の思惑は見事に当たった。
弟の子供たちは皆んな勉学に励み、全員が社会的に成功した。
その一人が始めに記した人だ。
それに対して母方の兄弟は、全員が浮き沈みの激しい人生を送った。一人はオートレーサーになって事故死した。一人は戦後闇市で大成功したが、子供達が散財して寂しい最後になった。あとの一人はインパールで戦死している。母はその中では幸せかもしれないが、安穏な一生ではなかった。
その末端を担う私もその例に漏れず、曽祖母の慧眼を認める他ない。

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