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2024年10月27日 (日)

だれでも巨匠になれる時代が来る。2024年10月27日

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芸術に序列をつけることは不可能だ。スポーツなら誰が一番か明快に決められる。数学や科学も、どれが優れた発見かは明快に分かる。しかし、芸術には物差しがない。勝手に誰かを一番にしても、何の不都合もない。だから自分を勝手に巨匠の一員に加えても不都合はない。

すでに、商業美術とファインアートの区切りはなくなった。「政府は芸術振興のために金を出せ」との意見が美術愛好家の間に根強くある。ある意味でそれは正しい。しかし、公的資金が出れば必ず不正に利益を得ようとする者が現れ、芸術本来の力強い自律性は弱まる。

経済原則に従った商業美術には不正が入り込む余地はない。東京の街角に出てみれば、商業美術の素晴らしさを実感する。街角は自由なアートに満ち溢れている。街の一角を切り取って、美術館に展示すれば、既成の美術作品を圧倒する感動が得られるだろう。

工事現場、湾岸の工場群、廃墟、それらのありふれた建造物に芸術性を見出す行為そのものがアートだ。すでに21世紀アートでは、見出すこと自体が創作の一分野として評価されている。芸術に権威や既得権勢力の口出しは不要だ。放置するだけで、大衆の中から自然に優れた才能が発芽して成長する。

近年、AIは凄まじい勢いで進化し続けている。そうなれば、誰でもAIを使って、自在に絵画を描く時代がやって来るはずだ。その時、絵を描く技術は意味をなくしてしまうかもしれない。

作家の制作姿勢について。もしアーティストを目指したら、世相に右往左往しないことだ。若手のだれそれが5000万で売れたと聞くと、その作家の作品に引きずられ同調してしまう者が多い。
それは愚かなことだ。
何が幸せかを常に自分に問い続けるのが、アーティスト本来のプリミティブな姿だ。
他人に時代遅れと言われても妥協せず、好きな作品を作り続けて自分自身の人生を全うすることが、真のアート活動だと思っている。
新規さに拘るあまり、作品の熱量を失っている若手アーティストが多い現状を危惧している。

「雲おやじ」素材ステンレス。荒川戸田橋緑地陸上競技場西側・堤防よりに設置。グーグル航空写真に白い点として写っている。
「彫刻の中に野鳥が巣を作り、自然に溶け込んでくれたら素晴らしい」と願い、あちこちに出入り口を作った。

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