未完成の「おっぱい山のしゃもじ君」と、もしも違う人生を選んでいたら。2024年10月17日
子供はおっぱいが大好きだ。
それで「おっぱい山のしゃもじ君」を描き始めた。
おっぱいやまのてっぺんに住んでいたしゃもじ君に大きな荷物が届いた。
「しゃもじさん、はんこをください」
運送屋さんが山のてっぺんへ大きな声をかけると、
「はーい」としゃもじ君はハンコを持って滑り降りてきた。
大きな荷物が届いて村中は大騒ぎだ。
「何だろう、何だろう」と集まってきた。
「大きなサツマイモかな、それとも怪獣の卵かな」
何が届いたのか誰にもわからなかった。
荷物を受け取ったしゃもじ君も、しばらく考えていた。
そして、荷物の端についていたハンドルを回してみた。
すると、ガラガラと大きな音をたてて、
荷物はグシグシ形を変えながら大きくなった。
そしてそれは見たこともない大きな家になった。
家には不思議な生き物ものが住んでいて、黙って外を眺めていた・・・
この先に物語は続くが絵を描いていない。
そのように未完成のものが、パソコンの中にゴロゴロ落ちている。
生きているうちに3分の1でも、何とか完成させたいものだ。
完成させる意欲を失わせているのは出版状況の厳しさだ。
今の絵本界は売れる少数の作家を使いまわしているだけだ。
それ以外の作家にはほとんどチャンスはない。
それは、新人作家を見出そうとしない読者側にも問題がある。
戦前のごく平凡な女性。
着物は安っぽいが際立って悪趣味でもない。
顔立ちも極めて平凡。
取り立てた魅力はないが、少しくらいの苦難など平然と乗り越える強靭な人だ。
若い頃、プロの絵描きに「絵描きになるつもりだ」と話した。
彼は「やめとけ。絵は遊びで描くのが一番楽しい」と応えた。
今、私は若い人に彼と同じことを話している。
絵など仕事にするものではない。
前回、曽祖父は風流人だったと書いた。
彼は働いたことは一切なく、書画や茶道を楽しみ、花を生け、和歌を詠み、家の雑事には一切関わらなかった。
私の祖父を曽祖母が廃嫡した時も、一切口出ししなかった。
ある意味、幸せな人生を送った人だった。
投稿した絵を描いた時、見覚えがある顔だと思った。
よく似た人と若い頃に付き合ったことがある。
とても優しくて大らかな人だった。
今時の女性なので、絵の人よりずっと足は長くグラマーだった。
最初のデートの時、彼女は私に財布を渡した。
びっくりして中を見ると分厚い万札が入っていた。
親は埼玉の不動産管理業だと聞いていた。
彼女が父親にデートに行くと言うと「男に金を使わせるような、みっともないことはするなよ」と彼女にその財布を渡した。
しかし、当時の私は金回りが良かったので、彼女にお金を使わせることなどしなかった。
彼女とは長くは付き合わず、私から離れた。
嫌いだったわけではなく、ただ私が未熟だっただけのことだ。
今振り返ると、私には彼女のような人が一番合っていた。
もし一緒になっていたら、曽祖父のように風変わりな絵の好きな老人として終わったかもしれない。
それはそれで素晴らしい一生だ。
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