意外にも日本がコーヒーを受け入れたのは紅茶より早かった。2024年10月14日
コーヒーは江戸初期の長崎出島にオランダ人商人によって持ち込まれた。対して紅茶は、日本が英国から輸入したのは明治20年とずっと遅い。しかし紅茶は茶の湯に匹敵する舶来文化として日本の上流階級にすぐに受け入れられた。
絵は大正時代、母がブリヂストン創業の石橋家の娘に招かれて遊びに行った時の情景だ。庭には第一次世界大戦で青島で捕虜になったドイツ人がいた。彼は石橋家の技術顧問として、後年のタイヤ事業の基盤を作った。
その時、母が供されたのは洋菓子と紅茶だった。
母の住居近くに久留米師団の将校クラブがあった。母は幼い頃からその厨房を遊び場にしていた。その頃、コーヒーとチョコレートを口にしたが苦くて口に合わなかった。その代金は祖母が後から過分に支払っていた。
しかし、大人になるにつれ、コーヒーもチョコレートも大好物になった。殊にコーヒーは中毒の段階だった。母は90歳代の晩年までエスプレッソを日に何倍も飲んでいた。車椅子生活になってからも喫茶店へ連れて行くと大喜びしていた。
日本でコーヒーが本格的に普及したのは文明開化の頃だ。1888年には、日本初の喫茶店「可否茶館」が東京にオープンした。
ちなみに私が好きなのは池袋の椿談話室だ。
学生アルバイトの女給さんたちの受け答えが実に好感を持てる。彼女たちと短い会話を交わすのがとても楽しい。
ちなみに私はコーヒー派で紅茶はほとんど飲まない。お茶なら日本の緑茶の方が断然好きだ。
| 固定リンク