米国では私の絵は装飾美術でアートではない。モダンアートのみが評価されている。2024年10月31日
古い画像を投稿用に使おうと探し出したら、解像度が低くて使えなかった。PCを始めた頃のストレージは1ギガ以下だった。それで、画像を軽量化して保存したためだ。
その頃、出版社にメール添付で100KBほどの画像を送ったことがある。すると、編集部のPCがフリーズしたと偉く怒られた。
その頃は、アナログ電話線で送っていた時代だ。その上、編集者のほとんどはPCに慣れてなくて、そのような馬鹿馬鹿しい事故が起きた。
パソコンを始めたのは、作品掲載のホームページを作って、世界に打って出ようと思ったからだ。しかし、宣伝メールを画像添付で送るのは、前述の事情で無理だと知って諦めた。まだ、ウイルスがほぼなかった時代で、画像を添付しても開いてもらえた。
その頃、ニューヨークで少し売れている日本人作家と知り合った。とても親切な人で、米国の作家事情を教えてくれた。
米国では、過去にどの画廊で個展をしたか、その経歴が重要だった。
例えば、米国で二流の画廊で作品展をした作家は、ニューヨークの一流画廊は扱わない不文律があった。
私は自由の国でそんな馬鹿馬鹿しい差別はないだろうと半信半疑だった。
しかし後年、新人画家が登場する米国映画で、地方の三流画廊で一度個展をしたことを、新人画家がひた隠すシーンがあった。それを見て、その不文律は本当だと知った。
米国で言うアートは現代アートのみだ。私が描くような具象は装飾美術で、アートとして認められていない。
米国でアートとして認めるのは油彩のモダンアートのみだ。
私が描いているアクリ画を含めて、水彩も版画も二流の作品とされている。もし私が作品を米国に売り込んだ場合、一流画廊はほぼ門前払いするはずだ。
米国の国民的画家、アンドリュー・ワイエスですら、一時はモダンアートの作家より一段低く見られていた。近年、亡くなってから更に評価されきたが、後に続く若者は少ない。若者たちが具象ではなく、モダンアートを選ぶのは仕方がないことだ。
絵、絵本「こどものためのサティ・チョコレートの木」評論社・文・立松和平。
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