漫画シナリオ「赤い野いばら-4」2024年11月22日
雲は激しく流れていた。
少年は片手を上げて風向きをみた。
「悪い風向きだ。今のうちにこの鳥に乗って,風の丘から離れよう」
少年は抱いていた白鳥を空中に放した。すると、羽ばたきながら見上げるように大きな白鳥になった。少年は鳥の背に飛び乗って、カナを鳥の背に引き上げた。
白鳥はたちまち風にのって、空高く舞い上がった。
間近を雲が次々と過ぎて行った。
カナの腕や顔に、雲の水滴が宝石のように光った。
雲の間から森の木々が小さく見えた。
カナは少年の背にしっかりと体を寄せて、このままいつまでも飛んでいたいと思った。
しかし、白鳥は飛び続けられそうになかった。
西の地平線の黒雲の中で、無気味に稲光がひかった。
少年は不安気につぶやいた。
「やはり大嵐になりそうだ。この鳥は嵐に耐えられそうにない」
すぐに強風が吹きつけ、激しい雨が痛いように顔に当たった。
白鳥は幾度も大きく揺れた。
「がんばれ、もう少しの辛抱だ」
少年は白鳥を力づけた。
白鳥の呼吸はふいごのように荒くなった。
強風に白鳥は何度も苦しそうに鳴いた。
二人は今にも振り落とされそうだったが、少年は必死に白鳥を操った。
「この風雨では、二人をのせて飛ぶことができない。
どこか安全な所に君をおろす」
白鳥はやがて浮力をなくして、落ち始めた。
雲の切れ目に小さな丘が見えた。
白鳥は力をふりしぼって着地した。
「ぼくはこの鳥を連れて行きます。さよなら」
少年はカナを残して飛び去った。
「どこへ行ったらいいの。それだけを教えて。もう一度、トオルに会いたい」
カナは少年に叫んだ。
少年は何か答えていたが、風の音にかき消され、聞き取れなかった。
カナは雲の中へ飛び去っていく少年を、虚しく見送った。
《それにしても面倒な夢の世界。
今度、十歳のトオルに会ったら、おじいさんみたいに燃やして消してしまおうかな。そうしたら十五歳のトオルに会えるかもしれない》
カナは恐ろしいことを考えていた。
すぐに嵐が近づいてきた。
「大嵐がくるぞー。早く逃げろー。みんな東の谷に逃げろー」
ホシガラスがにぎやかに鳴きながら、東の谷へ飛んで行った。
西の空では雷鳴とともに、稲光が大地を青白く照らした。
カナはホシガラスを追って、東の谷へ駆けおりた。
カナは小さな丸木小屋を見つけた。
丸木小屋の中に駆け込むと同時に、激しく雨が落ちてきた。
中はたくさんの先客たちで、むせかえっていた。
先客たちは記憶の街の彫刻たちだった。
彫刻たちは、元の生き生きとした姿に戻っていた。
みんな自分勝手にわめきちらして、カナは耳が痛くなった。
「片っぽヒゲの猫は生意気だ」
「そうだ。そうだ。片っぽヒゲのネコなんか、嵐の中にほうりだしてしまえ!」
《みんなが罵っているネコは、もしかすると、チロのことかもしれない》
カナはみんなを押しのけて、部屋の真ん中へ近づいた。
やはり、罵られていたのはチロだった。
チロはみんながぎゅうぎゅうづめで大変なのに、テーブルの上を占領して、のんびり体をなめていた。
《ほんとに自分勝手な子》
カナもみんなと同じように、チロを叱りたくなった。
でも、一番大きな声で怒鳴っているのが、校長先生だったのでやめた。
カナはチロを抱き上げて、みんなをにらみつけた。
「片っぽヒゲのどこがいけないの?
校長先生だって、シュークリームみたいな髪の毛で、団子みたいな鼻じゃない。
みんなで私のチロをいじめるなら、ただじゃおかないわ」
カナはそう言って、校長先生の頭をピシャリと叩いた。
すると校長先生は、廊下に立たされた子供みたいに、おとなしくなった。
ほかのみんなも、静かになった。
カナはチロをだいて、テーブルに腰掛けた。
その時やっと、チロもいつものデブネコに戻っていることに気づいた。
ふわふわで暖かいチロを抱いていると、カナは家に戻ったような安らぎを覚えた。
ますます嵐は激しくなった。
谷間の木々は風にきしみ、絶え間なく雷鳴が響いた。
みんなは黙って、嵐が過ぎるのを待っていた。
すぐ近くに大きな雷が落ちた。
同時に木が裂ける悲鳴のような音が聞こえた。
嵐の中に、カナは少年の声を聞いたような気がした。
チロは大きな目をクルクルさせて、耳を立てていた。
そしてカナから飛びおりると、外へ飛び出して行った。
カナもチロを追って、嵐の中へ飛び出した。
チロの姿はどこにも見えない。
少年の声も聞こえなかった。
カナは少年とチロを探して、森の中を走った。
すると、巨大なもみの木が燃えていた。
燃えあがる梢に、死んだ白鳥が首をうなだれて引っ掛かっていた。
傍らの枝には、少年が落ちそうにぶら下がっていた・・・
カナは、少年を焼き消すことを願った自分を後悔した。
カナは夢中で叫けんだ。
「そのままでは焼け死んでしまう!早く、鳥になって飛んで!」
カナの言葉が終わる前に、少年の足元を大きな炎が襲った。
カナは息を飲んで見つめた。
すると少年は、死んだ鳥を枝に残して宙へ飛んだ。
次の一瞬、少年は小鳥に変わっていた。
しかし、小鳥は傷ついていた。
小鳥はうまく飛べず、放物線を描いて森の向こうへ落ちて行った。
カナは傷ついた小鳥を追って走った。
それより早く、チロがカナを追い抜いて行った。
やっとカナが森を抜けると、濡れた草の上に小鳥の羽が無数に落ちていた。
その傍でチロは横になり、満足げに体をなめていた。
チロは小鳥を食べてしまっていた。
嵐は去っていた。
カナは小さな羽を集めた。
カナは小鳥を食べたチロのことを、恨む気にはなれなかった。
「ネコが小鳥を食べるのは本能だから仕方がない。
でも、あの小鳥はトオルだったんだよ。
おまえに、トオルを生き返らせる力があるならいいけど、どう見てもただのデブネコ。これからどうすればいいのか、分からなくなった」
悲しんでいるカナに、チロは喉を鳴らして甘えた。
カナはチロをだいて森の中を歩いた。
歩きながら、拾い集めた小さな羽を風に飛ばした。
そうすれば、トオルと再会できるような気がした。
4
いつの間にか、最初の森の中を歩いていた。
ネムノキの小さな丘に着いても、カナは何も話す気になれなかった。
黙ってネムノキの下で休んでいると、ネムノキは目覚めて話しかけた。
「赤い野いばらの花と、トオルを見つけたのか?」
カナはつらそうに答えた。
「小鳥になったトオルを見つけました。でも、この子が食べてしまったの」
「そうか、チロがトオルを食べてしまったのか」
ネムノキは楽しそうに笑った。
カナはネムノキを、にらみつけた。
「ごめんごめん、これは笑ってはいけないことだな。
でも、トオルは死んでいない。
消えたのは、カナが夢の中で作り出した十歳のトオルだ。
だから、十五歳のトオルは今も元気だ。
希望を捨てなければ、かならず再会できるさ。
希望をなくしたら、あの老人のように、同じところをぐるぐる回り続けることになる。
カナはかならず、トオルと会えるから、心配はいらない」
カナは、老人に変わったトオルを思い出した。
あのように、この世界に留まって、老いたくはなかった。
希望をすてずに前へ進んで、十五歳のトオルを探し出そうと、強く思った。
「ありがとう、自分を信じて、トオルを必ず見つけ出します」
それを聞いて、ネムノキは満足そうに枝をゆらした。
「そうか、その決意があれば、素晴らしい現実に、かならず戻れるさ」
ネムノキはそう言うと、再び眠りはじめた。
カナはチロを抱いて、海音を頼りに記憶の街へ引き返した。
記憶の街に着いた時、日は落ちていた。
カナは海辺の広場へ行った。
しかしなぜか、二人の彫刻は消えていた。
チロはカナのことを忘れて、草むらで楽しそうに遊び始めた。
カナはその時、靴をなくしてしまったことに気づいた。
素足には血がにじんでいた。
ふいに、どうしていいのか分からなくなって、希望がくじけそうになった。
カナは冷たい石畳に腰をおろして、膝を抱いて夕暮れの海を眺めた。
すぐに空は、夜の色に変わった。
そして、次々と星が生まれては、無数の星屑が海に舞落ちていた。
カナは海を眺めながら、消えてしまいそうな希望を、必死に奮い立たせた。
その時、トオルの声が聞こえた。
「カナ、そんな所にいると風邪ひいちゃうよ」
驚いて振り返ると、十五歳のトオルが立っていた。
一瞬カナは、目覚めたのだと思った。
しかし、見覚えのある松林も砂浜もなかった。
カナは不吉なことを考えた。
《もしかすると、私は死んでしまったのかもしれない》
でも、目の前のトオルは明るく笑っていた。
「ぼくたちが死ぬ訳がないだろう。
カナがぼくに会いたいと、強く願ったから会えたのさ。
さあ、ぼくの家で何か暖かいものを食べよう」
トオルはカナの手を引いて歩いた。
荒れ果てた建物は消えて、代わりに真新しい小さな家があった。
トオルはその家に招き入れた。
中は暖かく、さわやかな木の香りがした。
窓辺にはカナが大好きなサボテンの鉢が置かれていた。
それはカナが子供の頃から夢見ていた、部屋とそっくりだった。
カナは暖かいお風呂に入った。
そしてトオルが用意してくれた、新しいて服や柔らかな靴を身につけた。
その間にトオルは、美味しい食事を用意してくれた。
食事をしながら、カナは今までの出来事を話した。
トオルは優しくうなづきながら、聞いていた。
こんなに幸せで楽しい時間は、生まれて始めて経験した。
このまま夢の世界で、永遠に暮らし続けていたいとカナは思った。
話しているうちに夜が明けて、窓から朝の光が差し込んだ。
カナが外を見ると、広場の花壇のサルビアが朝の光に赤く輝いていた。
《まるで、赤い野いばらみたい》
カナは外に出て、朝露に濡れた芝生を走って、花壇へ近づいた。
すると、サルビアだと思っていた花はすべて、赤い野いばらだった。
《どうして、今まで気がつかなかったのだろう。
何度もこの花を見たはずなのに》
驚いているカナのそばに、トオルが立っていた。
「トオル、この花を見て。
あなたが探していた赤い野いばらの花が、こんなにたくさん咲いている」
カナは無邪気に喜んでいた。
でもトオルは、黙ってうつむいていた。
「赤い野いばらの花が見つかったのに、なぜ喜んでくれないの?」
トオルは、とぎれとぎれに話し始めた。
「カナに、赤い野いばらの花を、見つけてほしくなかった。
ぼくは、カナがその花を見つける前に、先回りしてその花を他の花に変えて、隠していた。
赤い野いばらの花は、カナの本当の心の影だ。
だからいつまでも、カナに気づいてほしくなかった」
「心の影、それは誰にでもあるはずよ。
なぜ、私が気づいてはいけないの?」
トオルは海を眺めながら話した。
「心の影に気づいたら、大好きなカナは、ぼくから去ってしまう。
もうぼくには、カナを引き留めて置く力が、なくなってしまった」
一番幸せと思ったこの時に、なぜ別れを告げるのか、カナは何もかも分からなくなった。
「私が赤い野いばらの花を見つけたとしても、私の気持ちは以前とすこしも変わらないよ。なぜ先回りして、起きていないことを悩むの」
しかし、トオルは何も答えなかった。
なぜなら、トオルの温かい肌も、野いばらも、海の波も、風になびく草原も、全てが、白い大理石に変わっていたからだ。
5
カナを呼ぶ声が聞こえた。
カナはびっくりして目覚めた。
すぐ傍で、トオルが心配そうにカナを見ていた。
カナが笑顔をみせると、トオルは安堵した。
そこは、間違いなくあの海辺だった。
午後の涼しい風が木立をゆらしていた。
カナは確かめるように、トオルの腕にさわってみた。
それは暖かい生きている肌だった。
トオルの日焼けした顔が、くすぐったそうに笑った。
カナは聞いた。
「トオル、私のこと好き?」
「好きだよ、どうして?」
「そうじゃなくて、本当に好き?」
トオルは困っていた。
「本当に好きだよ。うまく言えないけど、今朝のカナも今のカナも とても素敵だ」
トオルは照れくさそうに、カナのバスケットを自転車へ運んだ。
その背中にカナは話しかけた。
「夢の中で、トオルに会ったよ」
トオルは振り返った。
「夢の中にオレがいたのか?」
トオルは無邪気に聞いた。
「ただ、ちょっとだけ」
カナは曖昧に答えた。そして、砂地に手をついて立ち上がった。
その時、指先に痛みを感じた。見ると野いばらの刺が刺さっていた。
刺を抜きながら目をつぶると、まぶたに午後の日差しが当たった。
そして、血液の透過光が赤い野いばらの花のように見えた。
カナは夢のことは、いつまでもトオルに秘密にしておこうと思った。
カナは肩にかかる髪をまとめて髪飾りで留めた。
トオルは大人びたしぐさのカナを、まぶしそうに眺めていた。
二人は元気に自転車に飛び乗った。
遠くなっていく海辺を振り返ると、黒松の林がセピア色の古い写真のように見えた。
カナはペタルを力一杯踏み込んで、前に進んだ。
来春、二人は違う高校に進学する。
別々に進んでも、カナは今日のことを、いつまでも忘れないと思った。
完
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