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2024年12月14日 (土)

年の暮れに正月準備。冷凍炒飯の絵。2024年12月14日

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小春じい「今年は、立派なお供えが用意できたな」ポチ「眺めているだけで、お酒が美味くなります」タマ「来年は、みんな元気で、いい年になりそうだ」
炬燵は素晴らしい。寒い夜に、思い浮かべただけで心まで温かくなる。だから「小春じい」で炬燵を描くのは4枚目になった。

タマの願いは私の願いでもある。
穏やかな年の暮れは素晴らしい。
穏やかに新年を迎えたいと、仕事に励んでいる。
多くは望まないが、穏やかさのためにある程度の豊かさは必要だと頑張っている。

世間の人たちも同じだろう。
人は躓き追い詰められると、思いもよらない行動をする。
紀州のドンファン殺人事件の判決が出たが、
人は金のためにそこまで落ちるのか、と暗澹とする。

力足らざれば偽り、
知足らざれば欺き、
財足らざれば盗む。
そのようにならない世の中を願っている。

今年も多くの有名人が死んだ。
びっくりしたのは中山美穂さんの急死だった。
西田敏行さんも驚いた。
小倉智昭さんは、前々からガンだと公言していたので、ついに来たかの思いだ。意外なのは料理評論家の服部幸應さんだ。食べ物に気をつけている感じで長生きすると思っていた。
海外ではアランドロン。
時代を象徴する2枚目だった。
ピアニストのフジコヘミングさんの訃報を聞いた時「ラ・カンパネラ」が頭の中を奔流のように流れた。
どの人とも縁もゆかりもないが、ただ寂しさに囚われる。

対して、自分の死は深く考えることがなくなった。
昔の人は、家や一族や国家のために生きて死んだ。だから一生懸命自分の生死について考えた。
現代人は家族との結びつきが弱い。
だから自分の生死に拠り所がなくなって悩む人は多い。

私にとって死に一番近い感覚は全身麻酔だ。
胆嚢摘出手術を受けた時、
「これから麻酔をかけます」
と麻酔医が話しかけた。
その一瞬に意識はなくなり、時間の経緯がないまま突然に麻酔から覚醒し、すでに手術は終わっていた。
もし、覚醒しなかったら、それが私の死だった。
現代の量子物理学では、意識が消滅した瞬間に、宇宙全てが消えてなくなるらしい。

時折、生への執着を感じることがある。
しかし、直ぐに飽きて生死などどうでもよくなる。
それでも具合が悪くなれば病院へ行く。
なぜなら、死ぬ寸前まで稼がないと食えないからだ。
稼げなくなって餓死を待つような、過激な死に方は私にはできない。

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冷凍炒飯パッケージのためのイラスト。難しい仕事トップ3に入る。米粒一つ一つにテリと影を入れるのは大変だけど、難しくはない。難しかったのはエビだ。どう描いても虫に見えた。
自由に描いてよいのなら、背開きにしたエビを使う。白い身が弾けて美味しそうで、虫に見えることはない。

1980年代終わりの仕事で、バブルの余韻が残っていた。
だから今と比べると破格の高額ギャラを貰えた。
今はパッケージにお金をかけなくなったので、このような仕事は滅多にない。

私の生き甲斐は絵なのだろう。
しかし、生活手段以上の価値はないと思っている。
スポーツや他の趣味とほぼ同じ程度のものだ。
結局、大切なのは人と人の縁だ。
仕事や趣味でも、その中心に人と人との縁があると充実する。

つくづく人は一人では生きて行けないと思い知らされている。
もっとも強い縁は親子の結びつきだろう。
しかし、血縁でも兄弟姉妹は微妙に違う。
相続問題で憎しみあっている兄弟姉妹を数多く見ている。

別格は夫婦の縁だ。
個人差はあるが、時には血縁より強い結びつきが生まれる。
その次は、友人知人、地域や職場の縁だろう。

SNSによる結びつきは、それらとはまったく異質のものだ。
端的に言うと、上述の縁の外側を緩やかに取り巻く存在だ。
それと気づかず、親しいと幻想して落胆する人は多いが、
始めからSNSは緩やかな存在だと認識し、ルールを守ればとても楽しいツールだ。それを起点に、深い友情や結婚へ至る人も希ではない。

生き甲斐とはタコの足みたいなものだ。
大切なのは真ん中の頭だけで、所詮、足は足に過ぎない。

絵に使った皿とスプーンは今も使っている。
スプーンの柄の色は黒だが、絵では赤にした。

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