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2024年12月 3日 (火)

暇なバー・エンゼル。足るを知る。老年期の占いの功罪。2024年12月3日

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天使にお店の経営感覚はない。
お客はお金がなさそうなネコ一匹。
浮世離れした「バー・エンゼル」

天使「その後、彼女と上手く行っているの」トラ「最初は楽しかったけど、このごろは、喧嘩ばかりしている。もっとも、オレが悪いんだけどね」天使「彼女は来そうにないね」トラ「来なくてもいいさ。二人分飲んじゃうから」

「一苦一楽」苦労や楽しみを経てこそ、本当の愛や幸せを得られる。
物事に関しても、疑ったり信じたりして真理に辿り着く。楽しいだけの愛は長続きしない。物事は思い込んでいるだけでは真理に辿り着けない。

天使「色々あって、はじめて愛は本物になる」
しみじみとつぶやく。
トラ「そんなものなのかな」
天使「わたしにも経験があるから、そんなものよ」

洪自誠著・菜根譚では「花は五分咲き、酒はほろ酔いが良い」と中庸を最良としている。人は豊か過ぎても貧乏過ぎても不幸になって苦しむ。理想や目標が高すぎる時は少し下げ、少し頑張れば真の幸せが得られる。

苦しみばかりや楽しみばかりでは、やがて破綻が訪れ苦しむことになる。程よく苦しんだり楽しんだりする人生が一番素晴らしい。そのようにして晩年を迎えることができれば、美しい夕日のように素晴らしい老年を迎えることができる。

菜根譚では晩年を人生で一番素晴らしい時期としている。言い換えるなら、晩年が光り輝くように、人生を一歩一歩噛み締めて歩くべきなのだろう。

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タマ「ポチは全部採って、一人で食っちまうつもりらしい」小春じい「困ったやつじゃ。"少しは小鳥たちのために残しとけ"と言ったけど、ポチは食い物のこととなると頑固じゃ」
宇宙人のタマも、時計の小春じいも果物は食べない。

貧しいとは、沢山持ているのに、さらに欲しがる者のことだ。
釈迦が亡くなる前に残した「遺教経」(ゆいきょうぎょう)に、次のようにある。

足ることを知るひとは、地面に寝るような暮らしでも安楽だ。
足ることを知らないものは、豪邸にいて、まだ満足がいかない。
足ることを知らないものは、豊かであっても貧しい。
足ることを知る人は、貧しくても豊かである。
貧しい人とは、何も無い人ではなく欲しがる人のことだ。
人はどこまで贅沢をしても、幸福感は持続しない。

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ポチ「おみくじを引いたら3回続けて凶がでました。来年は悪いことが起きそうで不安です」
タマ「ポチはいつもどん詰まりだろ。それ以上、悪くなることはないぞ」
小春じい「占いは他にもある。ほら、今、ポチにお茶を入れたら、茶柱がたった。こちらを信じろ」

私は浅草の観音様で、6回連続凶を引いたことがあった。
でも、悪いことは何も起こらず、その年は順風満帆の1年だった。
NHKのEテレでやっていたが、
凶のおみくじを桟に結びつける時、利き腕ではない方の手だけで結びつけると、強力な厄除けになるらしい。
ちなみに私は、長年の訓練の成果で、左手一本で簡単に結びつけることができる。

浅草の観音様は凶が出る確率が高いことで有名だ。
ちなみに、私はおみくじ売り場で、人が凶を引き当て落ち込む姿を眺めるのが趣味だ。
グループで引いて、一人だけ凶の時の、場の空気感がたまらなくいい。
凶を引いた時に交わされる、空々しい慰めの言葉。
そこに人間関係の軋轢や葛藤が見えて、短編小説を見ているようにドラマチックだ。

本屋で2025年星占いを立ち読みした。
私の運気は「これから4年間最悪へ向かう。それまでは自重して過ごし、5年後に行動せよ」とあった。
冗談じゃない。
5年後、私は85歳で、死んでいるかもしれない。
生きていたとしても、その分、足腰も脳も衰えているはずだ。

私は良い宣託だけを信じ、悪い年廻りなど無視している。
今日は、残りの人生で一番若く元気なわけだ。
だから、やりたいことがあったら、今日すぐに始めることにしている。

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