2014年5月21日 (水)

母の記憶が遠ざかるのは安らぎであるが寂しさもある。Macのメンテナンスを設定してディズニーランドへ行った。14年5月21日

30年以上昔に住んでいた家の古い物置に2m近い青大将が住んでいた。時々、物置の引き戸を開けると、鱗を青く煌めかせてゆっくりと逃げて行った。初夏の頃、その青大将が道の真ん中で脱皮を始めていたことがある。人に見つかったら傷つけられるかもしれない。私は脱ぎ始めた古い皮をそっと引っ張って脱皮を手伝った。

脱皮を終えた青大将はゆっくりと生け垣の中へ消えて行った。ヘビの抜け殻は商売繁盛のお守りになる。頭から尻尾まで傷つくことなく完全に揃った抜け殻は持ち帰って桐の箱に樟脳と一緒に大切にしまった。それは今も仕事台の上の棚に置いてある。その後、私は引っ越し、その一帯の古い家の殆どは立て替えられて、青大将の居場所はなくなった。

11年前、母がガン宣告された頃、母を車椅子散歩に連れ出すと、緑道公園で子供達が騒いでいた。
「ヘビがいた、ヘビがいた」
子供たちがはやし立てる草むらを、青黒い胴体が動いて行くのが見えた。
青大将がまだ生き残っていたことが、とても嬉しかった。

その日、自然公園で撮った35秒の動画が残っている。
画質の荒い当時のデジタル録画だが、今見ると昨日のことのように懐かしい。
その日は初夏の変わりやすい天気で、強い陽射しの後にわか雨が来た。
車椅子の母を公園管理棟の軒下で雨宿りさせ、折り畳み傘を広げて雨景色を撮った。

熱い石畳が雨で冷やされ、草原のクローバーに雨雫がキラキラ光っていた。
雨は涼しさを残して直ぐに通り過ぎた。

母は1,2年でガン死すると思っていた。
「雨もいいね」
雨を眺めながらつぶやく母の声が動画に残っている。
人の死と連綿と命をつないで行く自然。
母も私も、その対比に清々しさを感じていた。

それから7年後に母は死に、更に4年が過ぎた。
ものごとは一点に留まらず刻々と変化して行く。
毎日、住まいのものを減らすに従い、母の記憶が遠ざかるのを感じる。
それは安らぎであるが、同時に、すきま風に晒されているような、
心許ない寂しさがある。

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昨日はMacのメンテナンスをした。様々なPCの手入れの中でボリュームの再構築と、ファイルとボリュームの最適化は大変に時間のかかる作業だ。 朝から各種メンテナンスをした後、最適化を始めると終わるのは夜だ。その待ち時間を利用して遊びに出た。

行く先は決めていなかったが、結局、舞浜へ行ってしまった。ディズニーランドかシーか、どちらにしようかと迷ったが、何となくランドへ入った。

6時から入園する人は多く、想像以上に混雑していた。
来園者で多いのは親子連れ。そして、女の子同士のグループと若いカップルが次に続く。老人夫婦も以前より増えている。私のような男一人は少ないが皆無ではない。スーツに書類入れなど持っている男性は、多分地方からの視察だろう。シーズンを過ぎたが修学旅行の高校生のグループも散見できた。

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真っ先に蒸気機関車のウエスタンリバー鉄道へ行った。25分待ちで、列の隣は東南アジアから来た親子だった。目を輝かせている7,8歳の男の子の感動が伝わって来た。

今回は最後尾の客車の内側に腰掛けた。カーブにさしかかると先頭の機関車が見えて楽しかった。iPodでロジェワグナー合唱団の「故郷の人々」や「懐かしきヴァージニア」を聴いた。車窓の米国風景と、とてもピッタリして心地よかった。

次は蒸気船のマークトゥエイン号。いつもは1階デッキの舳先が定位置だが、久しぶりに最上階後部デッキへ行った。外輪船の蒸気の息づかいとiPodのアメリカ民謡がぴったりと重なってアメリカの大河を行く臨場感があった。


乗り終えるとエレキトリカルパレードが始まっていた。
無性に腹が減っていたので、長い列に並んでスモークターキーレッグを買った。520円と少し値上がりしている。ディズニーランドに来ると腹が減るのは、可愛い女性をたくさん眺めて、本能が目覚めるからかもしれない。

食べ終えてからホーンテッドマンションへ行った。パレードの真っ盛りなので待ち時間なしだ。控え部屋へ入ったのは私を含めて14人だけ。その寂しさで、皆少し恐怖が増しているように見えた。前回見た時はクリスマスバージョンで亡霊たちのサンタ姿が可笑しかったが、今回はいつものちょっと怖い姿に戻っていた。

出るとパレードは終わっていて、ホーンテッドマンションへ入る多勢の人たちとすれ違った。もう一度マークトゥエイン号に乗船し、いつもの定席、1階デッキ舳先の椅子に腰掛け手摺に寄りかかった。一瞬眠ってしまい、夢うつつに夜の沿岸風景が記憶に残っている。

下船してから350円のポップコーンを食べて、再度、ウエスタンリバー鉄道に乗った。下車したら、まだ肉が食べ足りない気分だった。いつものワールドバザールのコーヒーハウスへ行ってサーロインステーキとコーヒーを頼んだ。代金は2450円。最近、節約生活ばかりして来たので、昨夜はほんの少し昔の気分に戻ってみた。

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遊び疲れた子供たち。

食事の後、ワールドバザールのジプシーの占い機で占った。代金は30円。夢の世界のディズニーランドでは気を滅入らせる凶は出ないので気楽な占いだ。

・・・水晶に素晴らしいものが見えます。あなたが待っていた人が長旅から帰ると、あなたの人生すべてが変わります。あなたはとても我慢強い人です。その我慢強さはあなたに良い事をもたらします。憂鬱な日々は間もなく終わります。あなたには多くの友人がいて、皆、協力的であなたを喜んで助けるでしょう・・・
占いカードの言葉はとても胸に響いた。

閉園まで30分を残していたが、良い気分のまま帰路についた。次はディズニーシーへ行って、昔のニューヨーク街角を眺めながらiPodでモリコーネの"Once Upon A Time In American "を聴きたいと思っている。

11時近くに帰宅すると、Macのハードディスクの最適化作業は終わっていた。
最適化とは・・様々なデータはハードディスクに整然と記録されている訳ではない。空き領域にファイルがピッタと入らないことも多く、その時はデータをバラバラに分割して記録される。しかし、バラバラの記録の読み取りは機械的な負担がかかる。それで、最適化作業で、データーを整然と並べ替えさせトラブルを減らす。
やり残しのメンテナンスがあったので、今日もメンテナンスを続けていた。

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ヴィーナスの誕生のパロディ。
昔、渡辺正行氏の著書の装丁に使った。大掃除をしていて見つけた。

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20歳くらいの頃、裸婦を夢中で描いていた。
このクロッキーは2分程で描いた。修練によってテクニックは身に付いたが、今の画風には邪魔な技術なので、それから20年かけて捨てた。

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2014年4月 6日 (日)

イースターのディズニーランドへ男二人で行く。14年4月6日

ディズニーランド好きの、いつもの男三人で、ランドへ行こうと計画した。
しかし、版画家の菊池氏に予定が入り、Hさんと二人だけになった。

私は一人でも行くディズニーランド好きなので、気落ちはしていない。舞浜の駅前で2時半にHさんと待ち合わせた。

天気予報では午後から急速に気温は下がる。日中は好天で暖かかったが、セーターにマフラーを巻き、時間に余裕を持って出た。

花見シーズン最後の土曜日で、赤羽駅へ向かう桜並木をのんびり歩いていると、Hさんから携帯がかかった。
「今、東京駅です。ディスニーランドは入場制限が始まったようですよ、信じられません」
Hさんは困りはてている。出かける前に、ネットで混雑予想を確認したら上から四番目のやや混雑。こんなに信用できないサイトだと分かっていたら、早くに予約チケットを取っておいた。

「すぐに解除されるかもしれませんから、先にチケット売り場へ行ってみてください」
Hさんに、午後3時からのスターライト券二枚を頼んだ。その頃、ディズニーシーの方は更に混雑していて入場制限が続いていた。だから、ランドを止めてシーへ変更とはいかない。だめなら二人でどこかへ飲みに行くことにしていたが、それでは中途半端で、せっかくの休日に悔いが残った。

東京駅で京葉線に乗り換えるとすぐにHさんからメーショートメールが入った。
「入場制限が解除されましたので、チケットを買っておきました」
心底、ホッとした。

2時5分に舞浜に着き、携帯でHさんに知らせた。3時の入園時間まで二人で日向ぼっこしながら待った。こんな時、携帯のない昔は大パニックになったが、現代では事がスムースに運ぶ。


3時入園の行列ができていた。行列がなくなるまで15分程待って入園した。
いつもながら、シンデレラ城の見えるワールドバザールのアーケードには心躍る。土曜のせいで子供連れが多い。制服姿の女子高生もちらほらいて、眺めるだけで嬉しくなる。

チケット代を清算するため、ポップコーンを買って万札をくずそうとしたが、何処も長蛇の列で買えそうにない。仕方なく、行列が短いキャロットチュロスのワゴンで310円を2本買った。小腹が空いていたので何を食べても美味しいが、初めて食べたその味は期待外れだった。

アトラクションはどこも大変な行列だった。こんなに混雑したディズニーランドはこの30年で初めてだ。それでも、ウエスタンリバー鉄道は絶対に外せない。待ち時間50分だったが、二人だと退屈しなかった。久しぶりに会うHさんと積もる話をしているうちに時間は過ぎた。

乗車した列車が木立の中へ入ると冷たい風が吹き付けた。私は防寒をしっかりしているので平気だが、やや薄着のHさんは心配だった。

昼間の列車は久しぶりで、風景がいつもと違って見えた。回りは子供連ればかりで、恐竜たちの大迫力に泣き出す子供もいたが、そのピュアな反応が楽しかった。

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マークトウェイン号から。

その次はマークトウェイン号の船着き場へ行くと待ち時間なしに空いていた。乗り終えて下船するとすぐに空いていた理由が分かった。イースターのパレードが始まっていて入園客はそちらへ集まっていた。

ウサギ衣装の可愛い女の子たちに私たちは見とれた。私たちの後ろのスモーク・ターキーレッグのワゴンから美味しそうな匂いが漂って来て、そちらも気になった。

パレードが終わると直ぐにスモーク・ターキーレッグを買おうと思ったが、100m程の行列。スモークチキンの方は短いが、どうしてもターキーの方が良いので食べるのを諦めた。

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シンデレラ城から。

夕食を食べたいが、何処も大混雑で長時間待たされそうだ。Hさんの提案で、一度園外へ出て、舞浜駅傍のイクスペリアで食事をすることにした。こちらは直ぐに食事が出来て暖かく、ビールも飲めた。人心地が着いて外へ出ると日が暮れていた。

再入園すると、子供連れが減って、並ばすにカリブの海賊を見ることができた。それから、再度、ウエスタンリバー鉄道とマークトウェイン号に乗った。

夜景を見ていると、いつものデイズニーランドの楽しさが蘇った。しかし、気温は更に下がり寒くなったので室内のアトラクションへ向かった。

いつの間にか9時を過ぎていた。ホーテッドマンションは50分待ちなので諦め、20分で入れるミッキーのフィルハーマジックに並んだ。これは立体画像がよくできていて、大人でも楽しめる。空中を飛ぶときの風圧、水のシーンでの水滴、ケーキのシーンではシナモンの香りと、とても楽い。

ショーが終わったのは10時少し前だった。
入る前、9時半にはランドを出て帰ろうとHさんと話していたのに、結局、ぎりぎりまで遊んでしまった。

帰る前、10時半までやってるUCCスポンサーのセンターストリート・コーヒーハウスに入った。ここはアールデコ様式の内装でBGMが懐かしい曲ばかりで落ち着く。しかも、コヒーのおかわりは自由だ。すっかりくつろいでいる内に、あっと言う間に10時半になってしまった。

舞浜駅で、下り線に乗るHさんと別れた。
コーヒーを2杯飲んだので眠くはなかった。
京浜東北線の車中で、森田童子の「G線上にひとり」をiPodで聴いた。TBSの21年前の名作ドラマ「高校教師」で、二宮繭(桜井幸子)と羽村先生(真田広之)が鎌倉の安ホテルで結ばれる名シーンにこの曲が流れ、同時に壊れて止まっていた腕時計の秒針が動き始めた。

いつも、ディズニーランドの帰りには森田童子を聴く。それは現実へ戻る儀式みたいなものだ。明日からの仕事を考えながら、ぼんやり外を眺めていると、通過する駅のホームに白ウサギの着ぐるみの男女が電車を待っているのが見えた。

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今日の奥秩父。
散歩に出ようと玄関を開くと、昨日より更に冷たい風だった。
首をすくめて室内に戻り、マフラーを巻いて出かけた。
天気予報では、寒さは今日で終わり、明日から通常の暖かい春に戻る。

散り始めた桜は留まり、花は十分に残っているのに、昨日まで花見客で一杯だった公園には誰もいなかった。
大気は晩秋のような冷たさで、宴の後の侘しさが切々と迫った。

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2014年2月 8日 (土)

音楽・文学・絵画において、佐村河内守氏と新垣氏のゴースト関係は普通のことだ。これはソチオリンピックに新垣氏が仕掛けた渾身の逆転劇だった。14年2月8日

被爆二世で耳が聞こえないとされていた佐村河内守(さむらごうちまもる)氏の楽曲の本当の作曲は桐朋学園大学非常勤講師の新垣隆氏だった。それについて、この数日のワイドショーは両氏へ非難囂々だった。

しかし、彼のファンがどのような被害を受けたのか判然としない。芸術は肩書きに幻惑されず作品そのものを純粋に鑑賞するものだ。佐村河内氏の崇拝者たちも、肩書きのない作品のみに純粋に感動していたはずだ。純粋に作品に感動したのなら、偽装への怒りがあったとしても、作品まで非難するのは行き過ぎだ。

新垣氏の告白の後、作品への評価を変える人がいたとすれば、その人たちこそ、自分の感性を偽装していたことになる。真偽ははっきりしないが、今回、問題になるのは佐村河内氏が耳が聞こえないと偽装していた一点にある。

障害者2級の手帳を受けているので、もし、耳が聞こえると判明したら、罪を問われるだろう。日本コロンビアは彼によって大きな利益を上げているので、訴えるのはどうかと思う。しかし、CDを買った人からコロンビアが訴えられることはあり得る。

佐村河内の姓は芸名ではなく広島地方の由緒ある名で、全国に50人ほどしかいない珍しい姓だ。心配なのはその姓の人たちや子供たちが差別されることだ。同じ姓の人たちへの誹謗中傷だけは絶対に止めてほしい。

今回の偽装と本質はやや違うが、音楽でも、文学でも、絵画でも、歴史的にゴーストの存在は珍しくない。クラシック音楽の巨匠の殆どは、例えばバッハやモーツアルトの曲でさえ、ゴーストの作曲ではないかと疑われている作品が幾つもある。

それについて音楽大学の関係者の話では、今も忙しい作曲家が優秀な学生に曲想を伝えて5000円ほどの報酬で作曲させることは普通にあるようだ。

依頼された学生は実力を認められたことになり、大変に名誉なことで一生懸命に良い曲を作曲して期待に応えようとする。だから、新垣氏が佐村河内氏から作曲を依頼された時、彼は何の疑念もなくアルバイト感覚で受けたのだろう。

非常勤講師をしている桐朋学園大では、新垣氏は学生に人望があり才能も認められていた。彼の得意分野は現代音楽で、ゲームなどの曲を手がけている。だから、今回の事件でクラシックもこなせるのだと驚いている人もいたようだ。

絵の世界でも代作は昔から今に至るまで普通にある。中世の絵画工房は完全分業で、師匠の名は工房のブランド名と考えると分かりやすい。工房では師匠は大まかな構想を練るだけで、背景や細部は弟子たちが分担して制作していた。今のように、一人で全部を制作することこそ、歴史的には珍しい。

浮世絵版画も同じで、北斎はざっと下書きを描いて彫り師に渡した。彫り師の役割は、ラインを優美にしたり力強くしたり、着物の柄は自由裁量で考えて版木を彫っていた。そして、色は刷り師の裁量で自由に行われた。それら一連の工程を経て、世界の美術史を変えるほどの芸術が生まれた。

文学の世界になると、ゴーストライターは職業として認められ、今では誰でも知っていることだ。売れっ子作家は、粗筋をテープに吹き込み、優秀なゴーストライターが、台詞や細部を補強して書き起すことは珍しくない。

今回の事件は上記と本質は少し違うが、ホテルや有名料亭の食品偽装とはまったく違う。佐村河内と言う天性の演技者兼プロデューサーがいて、彼は皆が期待する現代のベートーベンを見事に演じて、新垣氏の作品を世に認めさせヒットさせた。

事件以来、過去の関連記事を読んでみた。それらを短く纏めると次のようになる。

・・・佐村河内守は耳が聞こえないだけではない。昼も夜も大音量の耳鳴りに苦しめられ、精神科医に処方された薬の副作用で立ち上がることもできない。苦しみのあまり、壁に頭を打ち付け、床を這いずり回りながら、頭の中に譜面を描こうと苦悩する。

そうやって、心身の苦痛の中から生まれた作品は、彼の頭の中だけで出来たとは思えないほどに光り輝いている。彼の才能が絞り出した光芒は、音の闇にある心の譜面に、神に導かれるように偉大な作品を刻み付けた・・・

「確かに、頭の外にゴーストがいた」
これは冗談だが、恥ずかしながら、私もNHKスペシャル「魂の旋律・音を失った作曲家」を見ながら、曲はともかく、苦悩する彼に感銘を受けた。アートの世界ではゴーストは当たり前のことだが、今回の罪は耳が聞こえないと偽った一点に集約する。

今回の作曲偽装事件は国際的な大ニュースで、方々の海外メディアにも取り上げられた。推測だが、今回、新垣氏がオリンピック直前に発表したのは、今の時期なら高橋大輔は曲を変えられないとの確信があったからかもしれない。

このまま彼の曲をBGMにして演技が行われば、世界中が新垣氏の曲に聴き入るはずだ。そして、偏見なく良い曲だと評価されれば、彼の名は歴史に残る。更に、高橋大輔が苦難を越えて金メタルでも取れば、作曲家として、日本での評価は逆転する。これは世渡り下手の新垣氏が仕掛けた、渾身の逆転劇かもしれない。

私見だが、高橋大輔は負けても許される大きな言い訳を得た訳で、気楽に演技ができる。だから彼は金メタルに一番近く、もし取ったら、逆境を跳ね返したと絶大な賞賛を受ける。

政府から地方自治体、大手企業や大マスコミや教養主義の知識人たち。それらをピアノもろくに弾けず、譜面も読めない、ホームレスの経験すらある無名の自称作曲家の男が手玉に取って、彼らの偽善を世に晒してしまった。更に新垣氏がソチオリンピックの大舞台に仕掛けた大逆転劇。この筋書きは面白く、最期まで目を離せない。

米国なら映画会社からシナリオ権の買い取り申し出が来るケースだ。三谷幸喜とか宮藤官九郎などがシナリオに起こしたら、喜劇の傑作が生まれるだろう。

・・・最終場面は高橋大輔のフィギュアスケートのリンク。大歓声の中、得点を見上げる高橋大輔。そして、暗い夜道を重い足取りで歩く落ちぶれた音楽家二人。「いい曲じゃないか」大きな方が痩せた方へ語りかける・・・

この筋書きなら、新垣氏の告白はオリンピック直前でなければならない。そして、それを佐村河内氏が考えたとしたら彼は天才なのだが、そこまで現実は巧くできていないだろう。


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今日の夕空。

8日〜9日日曜朝にかけて20年ぶりの大雪の予報。
それで今日の午後、アメ横へアーモンドを買いに出かけた。赤羽から高崎線に乗る。乗客はまばらで、午後の陽射しと座席の暖房が心地よい。最近、外出時はヨーヨーマ演奏のモリコーネの曲を聞く。郷愁のある美しい旋律に、車内放送、列車の車輪の音、それらが融合して昔のことを次々と想い出した。

上野駅で下車して外へ出ると、老いた浮浪者が買い物袋を通したビニール傘を肩にかけ、よろよろと歩いていた。白髪交ざりの立派な髭を蓄え、日に焼けた立派な顔。その世俗も国籍も超越した姿には畏敬の念さえ覚える。上野広小路の信号が青に変わるまで、その姿を見ていた。

平日のアメ横は空いていた。アーモンドは円安の影響で1キロ1450円と150円の値上がり。アーモンド2キロと業務用バニラエッセンス100g500円をカワチヤ食品で買った。

バニラエッセンスはオリゴ糖で甘くしたケィフィアヨーグルトに加える。それを細かく賽の目に切った味付けなしの寒天にかけて食べる。これが大変美味しくて毎日食べている。

その後、有楽町のビックカメラへ行った。昨日、一眼レフカメラのレンズ保護フィルターが割れたからだ。これがないと、持ち歩くのが不便だ。

売り場へ行くとマルミ光機の保護フィルター4500円が良いからと薦められた。この方面は詳しくないので、高いと思ったが言われるままに買った。帰宅してネットで調べると7640円の品だった。

上の写真はそれを装着して帰りに撮ったものだ。埃や水滴が付きにくく頑丈で、夕日などのハレーションが軽減されているように感じる。

日曜朝の積雪予想は25センチ。更に氷結しそうなので知事選の投票率に大きく影響する。そうなれば組織票の共産や公明が有利だが、舛添のトップは揺るがない。私はいつも泡沫候補のドクター中松に入れている。どの選挙でもそうだが、私が投票した候補者が当選したことは一度もない。

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グーが来た、新作。

グーは「グーグー」と優しい音をたてながら、
遠い星からやって来た。

その音を聞いた皆は、気持ちよく眠った。

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2013年11月16日 (土)

老コレクターの悩みと、お金なしで酔生夢死に暮らすヤップの男たち。13年11月16日

先日、古い知人に会った。彼は私より二つ年下の芸大の油絵出身で、会えばいつも絵の情報交換をしている。

彼の知り合いに芸大生の頃から親しくしている老コレクターがいる。親族はいないその人は、膨大なコレクションを相続してくれないかと彼に相談した。資産家である彼はコレクションの資産価値には興味がない。彼は老コレクターに相続するのは気が重いから、売却して有意義に使ったらと薦めた。しかし、老コレクターは愛着があるから嫌だと答えた。

老コレクターが処分しない理由は他にもあった。例えば、2千万で買った日本画の大家の作品でも、売却しようとすると10分の1にもならない。今、人気が落ちている作家だと買った値の100分の1でも売れないようだ。

そのように日本の有名画家の資産価値は殆どないに等しい。対して江戸時代までの北斎を始めとする浮世絵作家なら、国際価格がつくので安定した高値で売れる。明治以降の具象作家で国際価格がつくのはレオナール藤田くらいだと彼は話していた。

そのあとテレビ番組の「何でも鑑定団」の話になった。番組中で素人が出品した絵画に鑑定家が高額な値をつけるのは絵市場維持の為のようだ。鑑定家が高値をつけたあと「素晴らしい作品です。売らずに家の宝として大切にされてはいかがですか」と決まって言う。それは、前記のような二束三文の値しかつかないことを熟知しているからだった。

海外で認められなければ絵の資産価値はない。国際的に認められているのは、モダンアートなら、村上隆・奈良美智・草間弥生などいるが、現代日本画や具象の洋画では全滅状態だ。むしろ、ネット取引が盛んなアニメ原画や、昔から海外評価の高い工芸品の方が資産価値は確かだ。

その点、私の作品は元々安くて資産価値がないので、このような話とは無縁だ。私の作品のコレクターは、会社に飾ると仕事場の雰囲気が良くなり、来客の印象が良くなるから買うと話していた。私の絵は長く飾れば減価償却するので資産価値は必要ないようだ。

最後に、彼から生活はどうしていると聞かれたので、相変わらず自転車操業で大変だと答えた。それならペットの肖像画はどうかと彼は薦めた。彼の絵描き仲間にペットショップや動物病院経由でA4サイズほどの肖像を5万ほどで受注して描いている人がいるようだ。写真を見ながら描き写すだけだから簡単で、私なら月に10枚はこなせるだろうと彼は話した。

しかし、俗世に疎い金持ちの彼から出た話しでは、既に多く画家が参入して過当競争が起きているはずだ。
「今までペットの絵を5回ほど受注したが、一応ファインアートのつもりで情熱を注いでいるので、そのような絵は難しい」と答えた

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以前受注したゴールデンレトリバーの肖像画。「ラッキー」
大型犬としては長命で、18歳まで生きた。

先日、主婦に絵の褒め方を話した。彼女は私の絵を見て印象派のスーラの絵に似ている、と褒めた。私の絵の点描部分だけを捉えてそう言った訳で悪意はない。それは女優の誰それに似ていると言って褒める感覚に近い。

「絵描きはオリジナリティを大切にするので、似ていると言われて喜ぶ者はいません。綺麗ですねもだめで、綺麗なだけで心がないと取られかねません。単純に、いいですね、とか、気に入らなければ黙っているのが一番です」
そんなことを話すと「絵描きさんから聞く機会はありませんでしたので、勉強になりました」と感心していた。

昔ならそんな褒められ方をしたら激怒した。しかし今は、歳を重ねとても温厚になった。
30代の頃、アートフェスティバルへ行った時、ブースにいた年上の作家が自分たちの企画のパンフレットを渡した。掲載作品が嫌いなタイプだったので「嫌いだからいらない」と返した。「嫌いとは何だ」その作家は激怒してくってかかった。「嫌いだから嫌いと言って何が悪い」私は言い返した。
30年以上過ぎても覚えているのは後悔しているからだ。今思うと随分失礼な言い方をしてしまった。長い介護生活で我慢強くなって、今は外見も中身も極めて温厚になっている。

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昨日は午後まで小雨の寒い天候だった。

先日、国産大手メーカーの掃除機が壊れた。3年前に買ってから、大掃除専用に使っているだけで、いつもは押し入れにしまってある。だから、使った回数は30回ほどで新品同様だ。日常の掃除は、ほうきとちり取りと充電式の軽いコードレス掃除機が断然使いやすい。

壊れた国産掃除機は静音設計だったので買った。その時、売り場で試した少し値のはるダイソンの方が性能は良かったが、音が大き過ぎるので止めた。

先日、その掃除機のゴミ取り出し口の蓋を開いたら、蝶番にロックがかかったようにびくとも動かなくなった。昔なら絶対に壊れない箇所だ。最初からの設計ミスか部品の不良だ。ジョイント中に電気配線が入っているので、自分では修理できない。ぼやきながら蓋の開いた掃除機を抱えて、池袋のヤマダ電機の修理部へ持ち込んだ。

後日、連絡があった。プラスチック製の蝶番部分にヒビが入っていてそこに埃が詰まり動かなくなった。蓋ごと取り替えるから4200円かかると言う。想定内の額だが釈然としない。

その掃除機は4代目だが、それまでの3機種はどれも壊れて廃棄した訳ではない。どれも10年ほど使って汚れ、古くなったので破棄した。買った当初から力の加わる蝶番部分が華奢なプラスチックなのが気になっていた。使わない掃除機なので、メーカーに送って、じっくり時間をかけて原因究明をしてくれと頼んでおいた。


売り上げ日本一のヤマダ電機が23億の初赤字になった。原因はショールーミングだ。これは店頭で商品を確かめて、最安のネット通販する購買行動のことだ。これでは店頭販売の売り上げが落ちるのは当然だ。ショールーミングでは、メーカーと型番が分かれば、どこでも同じ製品が購入できる。規格品ではない野菜、鮮魚、工芸品では難しいが、これから工業製品の総てで進行しそうな購買行動だ。

これが定着したら、一般小売店だけでなく、量販店も成り立たなくなる。最終的に店頭販売がなくなれば、量販店は通販に特化することで生き残るだろう。しかし、販売員の大量失業は避けられず、製品確認や説明を求められなくなった消費者も困ることになる。

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雨は3時過ぎには止んで、美しい夕日になった。

インフルエンザの予防接種をした。65歳以上は都の補助があり2200円の負担。他に睡眠導入剤の処方を頼んだので医療費は4000円以上かかった。

そのように冬は総てに出費が多い。暖房だけでなく、明かり、風呂などの光熱費も多い。一番気が重いのは、年末年始の出費の多さだ。冬に備えなければならない北国で貯蓄や生産システムが発達したのは理解できる。

その点南国は気楽だ。先日の地球イチバン「世界で一番 大きなお金・ヤップ島」に出て来る島民はその日に食べるだけ魚を釣り、畑でヤムイモを掘り、のんびり暮らしていた。

ヤップ島は世界一大きなお金「石貨」で知られている。大きなものは直径4メートル。石貨の価値はその石が歩んで来た歴史で決まる。例えば、争いで死んだ人の命などお金で換算できないものへのつぐない。あるいは和解の証として使われた。その考えは貨幣経済にどっぷりと漬かった我々には哲学的過ぎて理解しにくい。体感で理解している現地の人も、あまりにも感覚的過ぎて説明に苦慮していた。だからお金と言うより、もっと精神的なものだった。

石貨の素材石灰岩は500キロ離れたパラオから運ばれたものだ。鉄器が入ってくるまではそれをシャコガイで作ったノミでコツコツ何年も削り続けて作った。それで大変貴重なものとされた。

ヤップは豊な島で、お金なしでも暮らして行ける。それでも教育にお金が必要なので、特産のビンロウジの実を輸出して現金を得ている。ビンロウジはヤシ科で、その実をキンマの葉と石灰と一緒に噛むと軽い酩酊感が得られる。ヤップの男たちはビンロウジを噛んで赤く口内を染めながらのんびりと、酔生夢死の生活をしていた。いつも生活に追い回されている身には、実に羨ましい島だった。

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2013年11月10日 (日)

セルロイドの小箱など、消えて行ったものは魅力的だ。13年11月10日

銀座に出かけたついでに伊東屋別館で絵の具を補充した。2階までは珍しい高級万年筆の売り場だ。高価過ぎて買えないが、海外の美しい万年筆を眺めるのはとても楽しい。殊にセルロイドの鮮やかな色は懐かしくて魅了される。と言っても今は昔のセルロイドとは違い、原料に難燃性の酢酸セルロースが使われている。

プラスチックが一般的ではなかった子供の頃は文房具や玩具や写真フイルムはセルロイドで作られていた。この素材は火薬の原料のニトロセルロースに樟脳を加えて作られているので発火しやすく、たびたび保管倉庫が火災を起こした。映画フイルムも映写機光源のアークによる加熱ですぐに焼き切れ、上映中に中断することが多かった。

男の子はセルロイドを削ってアルミの鉛筆キャップに封入してロケット弾を作った。封入したアルミキャップをロウソクで加熱すると、ペンチで挟んだ隙間から白煙を激しく噴出させながら宙を飛んだ。

昔のセルロイドは妖しいほど美しかったが、劣化しやすく割れやすいのが欠点だった。割れた筆箱などは線香で穴を開け、糸で繕って修理した。線香の火をあてると、樟脳の香りのする白煙を上げ、ジュっと音をたてて簡単に穴が開いた。

セルロイドの鮮やかな色を、今のプラスチックで再現するのは難しい。紫外線にも弱く、その美しさを保っている製品は殆ど残っていない。危険で衰えやすいものほど美しいのかもしれない。

M_6Sx1_21883年創業のドイツ・カヴェコ社のリニューアル万年筆。

美しい青い軸に惹かれて買った。

安物で、国産万年筆と比べると書き味が劣るので殆ど使わない。

ただ、専用インクの明るいブルーを気に入っているので時たま使う。

20年以上昔に買った国産シャープペンシル。

酢酸セルロースを使ったセルロイド軸なので燃えないし劣化もしない。


5階の絵の具売り場に客は一人もいなかった。昔はいつもレジに行列ができていたのに、今はいつも閑散としている。他の画材屋も同じ状況で昔の活況が嘘のようだ。今、都内の画材屋は世界堂の一人勝ちの状況だ。

昔の画材屋はデザイン業界で潤っていた。今はパソコンで下書きから版下まで総てができるので、高価だったデザイン用品は不要になった。

仕事机にリムバーの古い容器がある。年長のデザイナーなら懐かしい用具だ。私は筆に固着した値段表剥がしに重宝している。私は経験がないが、昔の版下はデザイナーが職人技で切り貼りしていた。デザイナーの中には驚異的な名人がいて、髪の毛みたいな細い線を自在に切り貼りできる人がいた。

S_7写真撮影の指示やパンフレット見本はマーカーやアクリル絵の具を使って手描きしていた。絵描きで食えない頃、そのアルバイトで少し働けば楽に1ヶ月生活できた。今、それらの仕事はパソコンで簡単にできるので、デザイナーの片手間でできる。イラストでも何でもパソコンでできるようになったことで、却ってデザイナーの仕事は増えてしまった。

今はデザイン用具メーカーも絵の具メーカーも世界的に窮地に追い込まれている。画材メーカーが衰退するのは絵描きに取っては困ったことだ。既に、絵の具、筆、キャンバス、画用紙などの品質低下を招いている。

先日、懇意にしていた現代アートの画廊が来月早々に閉鎖するとメールが入った。以前、関係者から画材を扱っていた親会社の経営が大変だと聞いていたので、いずれそうなると思っていたが残念だ。


M_5銀座はすでにクリスマスモードに変わっていた。

先日、知人から頼まれた簡単な金属部品の修理をした。必要な道具を探すと、あきれるほど大量の道具や材料が出てきた。それでも、今の住まいに引っ越して来た時、大量の鋼材や非鉄金属材を廃棄して来た。その時、銅板画の高価な用具などは若い画学生にあげた。

今、住まいにある道具や素材を新たに揃えるとなると数百万はかかる。工具類には何故こんなものを買ったのか不思議になる品もある。配管・電気工事の道具、大工道具から散髪用の特殊なハサミまで、道具好きの性格が災いして、道具屋で見つけると衝動買いしていた。

部品の修理は、以前なら高温でロー付けしたが、今の集合住宅ではガスバナーが使えないし、仕上げの酸洗いに使う希硫酸もない。職人としては不満だがハンダ付けで我慢した。ちなみに溶接用具もあり、溶接と高圧ガス取り扱いの資格を持っている。

職人仕事は心地良い世界だったが、彫金職人の業界が最高に景気が良かった43歳の頃に、最後のチャンスと思って絵描きに転職した。
「いい腕をしているのに、生活できない絵描きに転向するなんて無謀過ぎる」
当時、知人たちは思いとどまらせようとしたが、後悔はなかった。親戚には既に故人だが名をなした絵描きがいて、この世界が大変なことは熟知していた。ただ、広告・出版の業界との繋がりがあったので、絵が売れるまではそちらで何とかなると思っていた。私の判断は正しく、彫金業界は私が辞めたころを頂点に急下降して、同業者の殆どは失業した。

これからは職人の世界でも3Dプリンターが威力を発揮しそうだ。新聞に3Dプリンターメーカーが銃を試作した記事があった。以前から銃を作ったニュースはあるが、どれも1発撃つと部品や銃身が溶着して使えなくなる代物だった。今回の試作品はステンレス材・鋼材などで作られ、本物同様に使用できる高度なものだ。

記事を読みながら、工芸職人の世界でも3Dプリンターが普及しそうだと思った。現在のネックは使える金属素材が限定されていることだ。しかし10年もすれば、どのような素材も自在に使えるシステムが完成しそうな予感がする。

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午後から青空が見えたが、すぐに雲で覆われた。

有名レストラン、ホテル、老舗旅館の料理の食材偽装が毎日報道されているが、昔から食材表示に疑問を持っていたので今更の感がある。私は美味ければ良く本物か偽装か気にならない。だから、高いばかりでさして美味しくない有名店では昔から食事をすることはなかった。

偽装で記憶に残っているのは、20年前、下北沢で安いステーキ専門店で食べたステーキだ。それはどう見ても牛ではなく、色合いと味は豚肉に近く、と言っても豚では絶対になかった。今もあれは何の肉だったのか気になる。

ちゃんとしたステーキ店では、目の前で大きなブロックから切り分けて調理してくれる。あれは、業界内部では偽装が常識とされていたので、ちゃんとした牛肉を使っているとのアピールだったようだ。

蛇足だが、昔、つき合っていた女性の実家は地方都市で小さなレストランをしていた。彼女と食事に入った時、店が閑散としていると、辛くて耐えられないと言っていた。その気持ちはよくわかる。お客がつかない屋台などの小さな商売を見ると辛くなる。

日本が貧しい頃は自転車に商売道具を積んで商売をしている人が多くいて、成り立っていた。鋳掛け屋。ゴム長の修理屋。下駄の歯の入れ替え。畳の張り替え。彼らは道具一式を自転車に積んで街のあちこちに出かけ、路傍で仕事をしていた。その頃に進駐軍相手の安物アクセサリー露天商から始めて、今は銀座の大きな宝飾店へ出世した人がいる。後進国などでは、オレンジ数個だけの露天商でも成り立つが、今の日本ではそのような起業は難しい。

今は、昔はどこにでもあった靴磨きが町から消えた。靴磨きは靴の修理も兼ねていて、良く切れる刃物で、クイクイと靴底の分厚い皮を削り、口にくわえた釘を打ち付ける作業は見飽きなかった。今も健在なのは、包丁研ぎくらいのものだ。

Sx1ディズニーランドの公衆電話。

園内でこれだけはNTTがディズニー仕様に許可を出さなかったのか、古く薄汚れていて俗っぽい。

携帯普及で使う人は殆どいないが一応置いてある。

園内地図には4,5ヶ所、建物影の分かりにくい場所にひっそりと表示してある。

同じ露天でもディズニーランドは別格だ。寒くなって園内のスモークターキーレッグのワゴンにはいつも20人ほど並んでいて、1本500円が飛ぶように売れている。ざっと計算すると1日売り上げは30万を越す。しかし、同じ商売を街中でやっても10分の1を売り上げるのも難しい。ディズニーランドの雰囲気とブランドがそれを可能にしているのだろう。

先日行った時のスモークターキーレッグのワゴンでは、熟年女性二人が「大草原の小さな家」のお母さんのような可愛い服装でキビキビと働いていた。二人は若い女性が扮するより自然だった。

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2012年5月16日 (水)

一般的に知られる物語は、伝承された物語の中では極めて特殊なものだ。12年5月16日

 日本にタピオカが登場した40年近く昔だ。幼い姪たちに食べさせようと銀座へ連れて行った。銀座場末のその中華料理店は、カウンター席のあるラーメン屋のような店だった。

料理を食べ終え、最後にカカオミルクに入ったタピオカが出て来た。姪たちが珍しそうに聞くので「これはカエルの卵だ」と教えた。姪たちが「いやだー」と騒ぐと、カウンター内のヒゲの料理人がジロリと見た。慌てて「これはただのお団子だから」と静かにさせた。

「こんなに小ちゃなお団子、どうやって作るの」
早速、姪たちが聞いた。
「ヒゲのおじさんがこちらを見ているだろう。聞こえるとまずいから静かに聞きな、と小声で話した。

・・・夜中、店を閉めた後、大きな鍋でお湯をクツクツ沸かして、小人たちが回りをかこむんだ。
そして、小ちゃな手でお団子を丸めては、次々とお湯の中に放り込むんだ。
作り方が遅い小人は、あのビゲのおじさんが爪楊枝でチクチク突つくから、みんな一生懸命作るんだ。
そして、やっと仕事が終わる明け方に、ジャムの空き箱に入って落花生を枕に泣きながら寝るんだ。

話し終えると、姪たちはタピオカを美味しい美味しいと食べながら、料理人を睨んでいた。
姪たちに睨まれたヒゲの料理人は訳が分からず困惑したことだろう。

 その頃、姪たちは白雪姫のことをリンゴ姫と思い込んでいた。
白雪姫のストーリーをちょっと変えて話してあげたからだ。

・・・意地悪な魔法使いの継母がリンゴをくれたところまでは白雪姫と同じだが後は違う。
毒リンゴを囓ったお姫様は大きなリンゴになってしまった。
大きなリンゴを見つけた小人たちは大喜びして、後でアップルパイを作ろうと新鮮保護パックに包んで冷蔵庫に入れて出かけて行った。
そこに、とってもとってもお腹を空かせた王子が通りかかった。留守の小人の家を見つけて王子はしめしめと忍び込んだ。そして、台所の冷蔵庫を開けると、そこに美味しそうな大きなリンゴがあったので夢中でがぶりと噛みついた。
するとたちまち大きなリンゴは美しいリンゴ姫に戻った。
王子はがっかりして、すがりつくリンゴ姫を振り切って出て行ってしまった・・・

 愛より食欲が強いと教えた姪たちは孫が出来そうな歳になった。私の教訓が悪かったのか、姪たちの離婚率は高く、まっとうに結婚生活を続けている者はいない。

弁解すると、世界各地のおとぎ話は本来そのようなものだ。今年始めNHKの深夜放送で市原悦子が朗読したおとぎ話もそうだった。

 それは各地にある "鶴の恩返し" の別バージョンの一つだ。

・・・ある日、男が蛤を助けてあげると、その夜、美しい女性が訪ねて来た。
男は喜んですぐに嫁にした。
毎朝、嫁は男にこの世のものではないほどに美味しい吸い物を作ってくれた。
ただし、「作る所を絶対に見てはなりませぬ。」と嫁は男に厳命していた。
しかし、男はがまんできず、ある朝、禁を破って嫁が料理する姿を覗き見てしまった。
すると、嫁は鍋にまたがって鍋にオシッコをしていた。
男がビックリして腰を抜かしていると、
「見てはいけないと申しましたのに・・・見られてしまったからには嫁でいる訳にはいきません。」
嫁は家を出て行って元の蛤に戻ってしまった。

 世界各地に語り伝えられて来たおとぎ話の中で、少数のものだけが近代思想のふるいにかけられて残った。だから、我々が知っている物語は、本来の伝承物語の世界では極めて特殊なものだ。

それが良いか悪いか早計には決められない。多くの民衆が語り伝えた物語はそれなりの力強いリアリズムと深い意味がある。だから、闇に消し去ってはならないと思っている。

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画像はパグに変えられた王子さまの物語・・私創作

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2009年9月 1日 (火)

絵本作家とイラストレーターへの道と現状。09年9月1日

イラストで大きなな仕事をすると次々と仕事が舞い込む、と世間では思われているが、広告の世界ではそうはならない。個性的で評判になるほど次はない。イラストが前のイメージを引きずるので、他のクライアントが敬遠するからだ。また、同業他社からも受注できない不文律がある。昔、第一銀行のパンフレット12枚受注したが、以後、証券会社を含め金融他社の仕事は一切受注できなくなった。

もし、イラストレーターを職業にしたら、個性を浮き立たせず中程度の仕事を主力にすると、持続して受注できる。と言っても、凡庸ではスタートラインにすら立てない。最初は個性で売り出し、後は軽くセンス良く描き続けるのがベストだ。それが全力疾走する絵描きとイラストレーターの違いかもしれない。

私は軸足を絵描きに置いているので、毎回、発注者を裏切るつもりで、重くなるのもかまわず、思い切り描く。実際、仕事はそれっきりで二度と声はかからない。駆け出しの頃は、一度仕事をすると関係維持に努めたが、無駄と気づいた。今はギャラを貰ったらすぐに忘れることにしている。

その点、キャラクターは強い。世界的大物にミッキーマウス、スヌーピー、星の王子さま。日本では鉄腕アトム、バカボン父、キティちゃんがいる。これは、大物俳優と同じ扱いを受け、高額ギャラが支払われる。

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先日描いたイラスト。11月から全国公演される劇団四季ミュージカル「嵐の中の子どもたち」ポスターに使われる。四季の仕事は昔からシリーズで受けていたので受注できた。しかしこの重さでは、今回が最後の仕事になるかもしれない。

繰り返し受注できる劇団ポスター、雑誌装丁などはイラストの中では希な仕事だ。有名なところで、ピア表紙の及川正通。週刊新潮表紙の故谷内六郎。二人とも表紙だけて高額収入を安定して得ていた。もっとも、本人たちは他の仕事ができず、画風も変えられず、大変ストレスの溜まる仕事だったようだ。

今は介護生活にどっぷり漬かっているが、以前は自由気ままに、あちこちのパーティーへ出かけていた。その頃、作家志望の若者たちにイラストレーターや絵本作家にどうすればなれるか、よく相談を受けた。

若者たちに、私は次のように助言した。
「一般的な方法として、出版社やデザイン会社に電話を入れ、承諾を得て作品を見てもらうことだ」
しかし、私は知らない会社に電話を入れるなど、考えただけでストレスが溜まり、実行する勇気がない。

もう一つの方法は、編集者やデザイナーが出入りする画廊での個展。コストはかかるが、私のような気の弱い者でも確実にチャンスを掴める。案内状宛先は画廊で用意してくれる。そのデータが不十分な場合は、ホームページでデザイン会社、絵本の後づけで出版社名を調べ、手書きの言葉を添えて送ると効果がある。

次は大手出版社の児童書編集者に聞いたことだ。
「売り込みは一切受け付けない。残念ながら、売り込み上手で才能がある人にお目にかかったことがない。才能は個展をこまめに訪ねて、こちらから見つける。」
極論だが、編集者の本音ではある。大手出版社ほど、ゾロゾロ素人に尋ねてこられては仕事の邪魔になるからだろう。

個展には準備や費用がかかる。すぐに売り込みたい時は、自分のホームページを活用すると良い。但し、案内メールを勝手に送りつけると警戒される。作品画像添付は更に拙い。殆どはスパムメールとして、読まれずにゴミ箱へ捨てられる。

良い方法は作品の絵葉書でホームページを売り込むことだ。写真を貼付けた手作り絵葉書など手間はかかるが、特別な感じがして好感を持たれる。その場合、URLはキーボードで入力してもらうために、簡略でなければならない。ちなみに私のURLは www.ma4s.com。これなら一発で入力してもらえる。私のように数字を入れると簡略なドメインが取りやすい。但し、1,0,はI,Oと間違われやすいので避ける。

作品傾向について。
イラストは時代の流行があるので、これが売れると薦めにくい。
絵本は、基本的に子供用なので家庭持ちが有利だ。絵本作家の殆どは自分の子供を喜ばせるために描いて、結果的に成功している。子供がいなければ、本屋や保育士を職業にすれば子供心を掴める。

絵本もイラストも収入は極端に開きがある。99%は低賃金でアルバイト程度の収入だ。しかし、ごく少数は高額収入を得ている。殊にヒット絵本は数十年に渡って出版されるので、累計すると数百万冊を売り上げて高収入になる。
マイナーな私の場合、不況の今は大変だが、売り絵で何とか食っている。いずれにせよ、デザイナー、編集者、職人、主婦など、他に主力になる収入源がないと食えない。

絵本の現状は、近年の少子化が直撃し、新人の出版は殆どなく、旧作の刷り直しばかりだ。
その点、海外絵本は全世代を対象にしたものが多く、少子化の影響を受けにくい。そのような海外のお洒落な絵本は日本でも全世代に人気がある。我が国も、大人向けに軸足を移したが良いと、以前から版元に提案しているが、編集者に受け入れてもらえない。しかし、諦めずに大人向けを描き続けている。

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またもや、平塚市で21歳女性に選挙用紙の交付ミス。
女性は母親と来ていたが、連れの子供だと無視され、用紙は次の人に交付された。女性は怒り、そのまま会場を出た。
「戻らないと棄権になりますよ。」
係員が追いかけて伝えたが、女性は怒ったまま立ち去った。女性は若く見え、日頃高校生に間違われることがあった。「担当者がすぐに謝れば娘は戻った。」と母親は怒っているようだ。役所に通常のマナーがあれば防げた事だった。

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2008年10月29日 (水)

経済危機が芸術を進化させる。08年10月29日

夕暮れ、次々とけたたましいサイレン。玄関を開けるときな臭い風が吹き付ける。川向こうの都営団地1階から煙りが噴出し、慌ただしく動き回る消防隊員の大声が聞こえる。消防車は更に駆けつけ、夕闇の中、総計11台が川沿いに赤色灯が煌めかせた。
火元は10分ほどで消火された。玄関前通路の観客たちは冷たい北風に身を縮め、部屋に戻って行った。

今日の自然公園には小学低学年の団体が来ていた。管理棟前の椎の大木は地上1メートルほどを水平に太い幹を伸ばしている。それはとても魅力的で、毎日、近所の保育園児たちがまたがって遊んでいる。猛暑の頃、私もその幹に横になって涼風を楽しんだ。

小学生たちも、目ざとく椎の大木を見つけ、嬉しそうに幹に飛びつて行った。しかしすぐに、「危ないから、木に登ってはいけません。」と、引率の教師に引き戻された。子供たちが不満を言うと、「木から落ちたら怪我をするでしょう。」と、取り合わない。その後、教師は子供たちを整列させ、転んで怪我をするから走り回ってはいけないとか、草むらには虫がいるから近づかないようにとか、神経質な注意を続けた。学校にしてみれば、親からのクレームを恐れてのことだろう。

しかし、日本の未来を担う子供たちが、こんなにひ弱に育てられては心配になる。昔の子供は怪我は日常茶飯事で、親も子供の怪我は元気な証拠と喜んでいた。だから、我々の世代で身体に傷のない者はいない。私も、腕、足、顔と傷跡だらけで、その一つ一つに懐かしい思い出がある。
そう言えば、今の子供は傷一つ無いきれいな顔や手足だ。昔はそんな子は、乳母付きの金持ちの坊ちゃんくらいで、庶民の子は赤チンだらけだった。今の若い親に、昔の奔放な遊びを見せたらびっくりするだろう。

今日も経済危機のニュースばかり。音楽や文学は景気の影響を受けにくいが、絵画はもろに景気の影響を受けるので気になる。
近年の絵市場はコンテンポラリーアートが世界を席巻して来た。主な賓客の金融関係者が明快なコンテンポラリーアートを好むからだ。瞬時に決断を強いられる彼らに、コンテンポラリーは向いている。その点、私の描く叙情的な具象画は内省的で、彼らに人気がない。心を静かに深く掘り下げていては、投機のチャンスを逸するからだろう。

F132先月の私の個展に現代美術の評論家が来た。
「現代美術ばかり見て暮らしていますと疲れます。その点、こちらの絵には安らぎがあります。この世界も良いなと改めて感じ入りました。」と、彼は話した。その言葉は、図らずも次の時代を暗示していた。今回の経済危機で、私たちの叙情的な絵は見直されるかもしれない。
芸術はいつも経済危機をバネにして進化していた。ビートルズは英国の経済危機の時にデビューした。ピカソもダリも第一次世界大戦、世界恐慌、第二次世界大戦と続く間に現われた。対して、好況時にデビューした作家たちはおしなべて軽くて薄い。

欧米でのアートはコンテンポラリーだけで、叙情的な具象画はイラストの範疇で芸術と見なされない。対して日本では、伝統的にイラストの評価が高く芸術と見なされる。たとえば、北斎も歌麿も写楽もイラストレーターだった。私は日本の評価の仕方が正しいと思っている。

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2008年9月20日 (土)

株が下がると絵も売れない。08年9月20日

昨日、生協浮間診療所で母は定期診察を受けた。医師に母の食が細ったことを相談すると、経腸栄養剤-商品名エンシュア・リキッド-を処方してくれた。これは経管でも使われる液体の栄養剤で、必須栄養がバランスよく配合されて吸収も良い。1mlが1kcalと、カロリー計算も簡単だ。味は色々あったので、コーヒー味にしてもらった。帰宅して早速飲ませると、心なしか元気になったように見えた。

栄養剤の問題点はやや通じが良くなることだ。
今日の散歩から帰宅するとすぐに、母は派手に粗相した。それは訪ねて来ていた姉が帰った直後で、携帯で姉を呼び戻したいくらいの惨状だった。散歩から休む間もなく、母の清浄に掃除洗濯と2時間程かかり、昼食は3時近くになった。原因が栄養剤にあるのか、それとも緩下剤が多過ぎたのかはっきりしない。数日様子をみて、飲み方を工夫しよう。

週に1回、姉が訪ねてくれるのは良いが、延々と身の回りの自慢話を続けるので、母は聞き疲れる。私は母が疲れているかどうか表情ですぐに分かるが、姉には分からないようだ。それで、母は姉をすぐに帰してしまう。しかし、こんなこともあるので、黙って家事をさせておくように、母に言っておいた。

朝日朝刊に、「ニューヨーク、クリスティーズで歌麿の傑作が落札されず。」とあった。一般には見過す程の小さな記事だが、私はとても気になる。これは長く活況を呈していたアメリカの美術品市場が低迷し始める序曲だ。当然、日本美術市場も影響を受ける。昨日、版画の菊池氏に電話した時、彼の知っている画廊で、最近、売れた絵5点がキャンセルされたと話していた。キャンセルは株暴落の影響を受けてのことだ。彼は私が「良い時期に個展をした。」と言った。確かに、私の個展が終わってから間もなく、アメリカの金融界に大異変が起き、株が乱高下し始めた。

私の個展の時、来訪した絵描き仲間の多くが、最近、まったく売れないとぼやいていた。対して、モダンアートは活況と言われているが、こちらも大変危うい。これから天国から地獄を味わうモダンアートの新人作家は多いだろう。
私の個展では、これでは到底食えない値段に設定したが、それでも売れない覚悟が必要だと、業界に詳しい人に言われた。今回、少し売れたのは、安いだけでなく7年ぶりのお祝儀の意味もある。

昨日、個展前に買った絵を引き取りにコレクターのOさんが来た。私はその代金で額を揃えられ、大変助かった。忙しくて個展を見られなかったOさんに、戻って来た絵を見せると、案内状に使った40号の大作を買いたいと言う。この大きさの絵を買ってくれる人は滅多にいないので、とても助かった。これで何とか来年2月まで生活出来そうだ。それだけのゆとりがあれば、次の手を打つことができる。

姉の帰り際にそのことを話すと、「何だ。ずーっと食える訳じゃないの。」と甘いことを言った。今時の絵描きは食うだけで大変なのに、その幸運を姉は理解できないようだ。

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2008年7月 9日 (水)

四苦八苦しながら、9月個展の準備。08年7月9日

先日の夜半、絵を描いていると蛍光灯が消えてしまった。旧式の蛍光灯は耐用時間が過ぎるとパカパカ点滅し始めるが、インバーター式は突然に消える。今回は、暫く休ませて再度スイッチを入れると点灯した。今は電管を取り替え、明るくなった仕事場で気分よく制作に励んでいる。

今、描いている絵は9月の個展案内状に入れる作品で、ホームページ、f-17「ジムノペティ」を40号キャンバスにリニューアルしたものだ。正確に言うと、f-17は今描いている絵の下絵で、既に売却した。下絵は夕暮れの少し寂しい絵だが、新作は明るく広々としている。大きな絵は楽しい。描くうちに絵の世界に没入し、現世の厭なことを忘れてしまう。

描くのは楽しいが、大変なのは個展に使う額の用意だ。手持ちの額で気に入ったものは少なく、新たに14,5枚は揃える必要がある。インターネットで格安のメーカーを探しているが、気に入った額は高く、頭が痛い。

企画展なので会場と案内状の心配はないが、額装は作家持ちになる。売れっ子作家なら、画廊が額装から搬入搬出まで全部負担してくれる。だから作家は絵を描くことだけに集中し、雑事には一切関わる必要はない。対して我々クラスは、雑事に追われながら疲労困憊してオープンにこぎ着け、売り上げが少ないと、「額代も出ない。」と嘆くことになる。

額には油彩額とデッサン額がある。油彩額はキャンバス用の重厚なものだ。大きな額の場合は50キロを越し、壁に太い柱を入れないと壁ごと壊れる。昔の洋館は絵を飾る事を前提に頑丈に作られていたが、今の建物は見かけ倒しで、大きな額をかけて壁が崩れ、絵が破損することがある。

デッサン額はボードや紙に描いた絵をマットを使って額装する。見た目は軽やかで軽量なので、一般に好まれる。ボードを多用する私はデッサン額を主に使う。デッサン額は油彩額と比べると安いが、盲点はマットだ。これが見かけ以上に高く、予算オーバーの原因になる。

絵描きはいつも、お金作りに四苦八苦している。絵描きが貧乏なのは古今東西当たり前で、私も、43歳で絵描きへ転身してからは、いつも野垂れ死に覚悟だった。それが、20年間、危ない危ないと言いながら暮らして来れたのは運が良かったからだ。しかし、野垂れ死にの危惧は最期まで付いて回りそうだ。
金策と比べると制作など容易だ。もし、絵描きが制作に苦労しているとすれば、アルバイトの疲労とストレスで制作意欲が削がれているからだ。

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